工藤 信夫先生(ルーテル神学大学 「信仰者の自己吟味」いのちのことば社--クリスチャン像の中で自分がとにかく立派なあるいは信仰深いクリスチャンでありたいという願いが変に強すぎるのではないだろうか--自己を深く見つめようとする世界へ深く踏み込ませないようにしているのではないか--) 自分の姿に気付かないで無意識に人を阻害している人(問題は自分なのに外に問題があると思っている人 パリサイ派の人たちに見られる) 安息日”聖日”厳守(秩序のもとに動かしたい人が唱える 宗教の中に秘められた罠”誘惑”である 守れない人のことを考えていない 守れる立場の人だけが自己満足に陥る危険性がある”教会の中でランク付が出来る” イエス様を放り出そうとする 落ち度のない者となろうとする) 片手のなえた人を癒すイエス(イエスの主導性 安息日に病をいやす”生かす”ことはいけないことかの問いに沈黙する人たち 憤りのあとに悲しんでくださるイエス イエス様を怒らせた自覚を持つことがだいじ 教会は罪と弱さにおいて共感できるところでありたい 肝心な時に黙ってしまうことはないか) 吉幾三(--娘を叱った--雪の中裸足で飛び出した娘を追いかけた--暖かい部屋に連れ戻り叱ったことをあやまった--以来、娘との関係が良くなった--)
入佐明美(いりさあけみ 釜ヶ崎で長くボランティアとして働ける人は十分な愛を受けているから十分支えることができる 私も”おじいちゃん、おばあちゃんから過保護なほどの愛を受けた) 愛を受けた経験があるから人を愛せる 罪と弱さに共感できる教会でありたい ゲーテの詩(--遠く離れている人の心が近くにあるのを知るとき地球は人の住む園となる--)