1997/01/01 「第一の日」 創世記 1:1〜5 (MP3)                       
永山教会のキリスト一座(色々の役割がある 見えないところで働いている人もいる 役員会はプロデューサー 牧師依存の教会にはならない) 創世記(現実の世界がどのようにしてできたかを言おうとしている個所ではない 神話だから意味がないということではない 人間対する深い洞察が秘められている 聖書全体で言いたいことが秘められている バビロン捕囚時代の絶望の中で書かれた 偶像神との戦い 神あるがゆえに我あり 可能性が閉ざされたときになお神の光を見ていた 神は被造物と言葉”ロゴス”によって語られる 神の言葉はその通りになるのだ 見て良しとされた)

1997/01/05 「新しい生命の出発」 マタイ 2:13〜15 (MP3)                    
人生は旅だ(アブラハム 行く所をを知らずして旅の生活 バビロンの捕囚 パウロの旅 イエスもエジプトに旅した”ヨセフの決断”) 石川牧師の受洗(選挙運動 前座演説で訓練 これからの日本はキリスト教だよと言われた 教会に入るきっかけ 土佐教会に行って大山牧師にあった 映画研究会に入った わかりにくい説教だった 4回の出席で洗礼を申し出た) 気付かなかった事に気付くと未来に対する希望が出てくる モルトマン(ドイツの神学者 現代人はテントの生活”短編小説風、エッセイ風の生活” 二つの緊張”神様との関係、人に仕える関係” 立派にやり通すことではない 戸惑いながらも神は私と共にいると信じる 恐ろしければ逃げればいいと腹をくくる 矛盾だらけの私を新しくしてくださる

1997/01/12 「私に先立つ洗礼」 マタイ 3:13〜17  (MP3)                 
子供との合同礼拝(永山教会付属野球部ペガサスの部員といっしょ) イエス様の洗礼 石川正一(『たとえぼくに明日はなくとも――車椅子の上の17才の青春』,立風書房 進行性筋萎縮症 24歳で招天)

1997/01/19 「なぜ、私が」 マルコ 9:2〜8  (MP3)                 
石川和夫牧師の高速道路における自動車故障(渋滞の原因となった なぜ私が 謙遜を学ばされた) イエスがご覧になると(普段の生活をご覧になる 私たちがどうして選ばれるのかは分かりません) ご覧になったうえで私についてきなさいと言われる(お前なしにはやっていけないと言われる) 差別されている人たちが同じ道を歩くことができる(癒しのわざ) ホモセクシャルの牧師(エイズの人の友となる 同性愛”神様が作られた”の問題 等しく神が愛された命とはの問題提起) 阻害されている魂にどのように寄り添っていくのか   八木重吉(詩 わからなくなったときには耶蘇イエスの名を呼び続ける--私はいつもあなたの名を呼んでいたい--キリストが解決しておいてくれたのです--彼に連れられて行けばいい--お召しになったからです--ここに私にでもできる道がある--私を投げ出します--)

1997/01/26 「どこから来るのか」 ヨハネ 2:1〜11  (MP3)                 
主題(最初のしるし カナの婚礼 水が葡萄酒に変えられた奇跡 水瓶に入っていた清めの水が祝福となった) ヨハネによる福音書(復活後の弟子たちの目で書かれているのでイエスのなさった事全てに対して”信じた”と書かれた。イエスの処刑の時に裏切った弟子たちを弁護している) ハンセン氏病(塔和子「どっこい生きている」 胸の泉”詩”--かかわらなければこのこの愛しさを知るすべはなかった この親しさはわかなかった このおおらかな依存の安らいは得られなかった--人はかかわることから様々な思いを知る。子は親とかかわり。親は子とかかわることによって恋も友情もかかわることから始まって。関わったがゆえにゆえにおこる孝か、不幸かを積み重ねて大きくなり、繰り返すことで磨かれ--生を綴る--関わらなければ路傍の人--わたしの胸の泉に枯葉一枚も落としてはくれない) 信仰者は救いがどこから来るかを知っている人のことである 星野富広(「風の旅」 --誰かが見ているような気がして、ふと振り返るとそこに小さな花が咲いていた--) 振り返ってみる(事件のただの見物人であってはならない 視点を変える)


                                                                                                 ページのトップへ戻る