原義雄先生(浜松の聖隷病院 ホスピス 現代文明は死を否定している。死ぬべき人間が死なないことをめざした文明である。死から目をそむけ避けてとおろうとしている。誰もこれを話題にしない。殊に病院内では死という言葉はタブー 死について深く考えることなく死んでゆく)死を忌嫌う(死は穢れたものという気持ちがある) キリスト教では死は忌まわしいものとは思わず、新しい命への出発点となります(死は罰ではない 死は嫌なことではありますが信仰を持ったから死は恐ろしくなくなるというものでもありません 死が恐ろしくなくなる信仰は恐ろしい”自爆”を誘う) アダムとイブの話は神話です(神話だから意味がないということではありません 蛇に騙されたから食べたのではありません”物語のストーリーとして書かれた”もともと人間は知識の実を食べるものだったのです 食べた後の物語の展開が重要です 神の顔を避けるようになりました 人間の善悪の判断には限度がある 正義の判断のゆえに人を殺しもします ) 死ぬときは一人ではありません(イエス様がついています)
中嶋正昭牧師(死にざまがうらやましかった 自分の葬儀の段取りをすべてなさった)