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  「理想と現実」

             石川 和夫牧師

 「教会建築は、その様式、構造などの建築技術上や芸術上の見地からではなく、まず教会論から出発せねばならぬ。教会とは何か。教会の礼拝、教会のミッションはどうあるべきかなどの問題から開始されねばならぬ。」

 我が国においてただ一人と言っても良い教会建築の研究者である長久清牧師の言である(「教会と教会堂」)。私は、建築のための土地がなかなか決まらないのは、教会の頭なるキリストが「待った!」をかけておられる、ということではないか?と すでに述べた。

 一つは、今が「仮の教会」と考えるな、ということであり、もう一つは、「教会論」が、まだ、まとまってはいないではないか、ということである。長久牧師の「まず教会論から出発せねばならぬ」ことが、なされていない。永山教会は、「教会の礼拝、教会のミッションはどうあるべきか」について、教会員が一致した考え方を持っているのか。

 例えば、土地の選定についても、特別に献身した者たちが、この世から離れて、静かに沈思黙考する、という考えでまとまっているならば、あえて人里離れたふべんな所で十分であろう。あるいは、信者だけで、落ち着いた礼拝をする、といことであれば、駐車場のことは、第二義となっていい。永山教会は、どのような「教会論」で、会堂を建てようとするのか、ということは、そういうことなのである。

まず第一に、「教会の礼拝」をどう考えるかである。長久牧師の言葉を借りよう。

 【一八、九世紀頃から個人主義、浪漫主義などが勃興して、教会は大きく影響を受けることになった。その波が今日の教会を襲って、教会本来のものが失われるに至った。礼拝には一種の神秘的なムードが求められ、それに浸って心に平安を得る。あるいは大説教家の説教に感動し、回心へと導かれる。これらは決して誤っていると言うわけではない。これらの場合、人は受ける態度に重さがおかれる。進んで何かをするとしても、それは個人的な演技に終わりがちである。礼拝に出席することが「説教をききに行く」と言われる。礼拝に出席することは、講演会や劇場に行くのとは異なるものである。ただそこで親しい人に会えるからと言うのでもない。会うのは、そこに臨在される主キリストであり、主キリストは、礼拝する者たちの「ただ中」(ルカ一七・二一)にいます。 In you ではなく among youである(N.E.B.)。集まる者が一つになって主の賜物を受け、一緒になって主に「生ける供え物「(ローマ一二・一)をささげて、共に主に仕える。そこでは一同は、演劇を見るのでなく、自ら演台に登って演技するものとなる。かくして共同的、能動的礼拝が実現する。】

        (長久清「教会と教会堂」、二〇、二一頁)

 私たちは、すでに日曜学校礼拝を解消して、成人礼拝と同格の礼拝として第一礼拝と呼ぶことにし、内容も誰もが主体的に参加できるように、式文礼拝とした。第二礼拝が、まだ従来の形式のままであるが、これもいずれ式文形式に移行するであろう。

 ここで、現在、緊急の課題は、「教会のミッション」を、どう捉えるか、である。急に、話が変わるが、去る五月三十一日の第一回西東京教区総会で、お隣の東京復活教会の田村信征牧師が三〇年の忍耐の後に、按手礼を受けられた。私たちは、役員会の決議に基づいて、心ばかりのお祝いをお届けした。次のようなお礼状が届いた。

 【 主の御名を讃美します。

この度は、私の受按に際しお祝いの志を頂戴し心より御礼申し上げます。ふだん最も近くに在りながら、なかなか交流することが無いにもかかわらず、このようなご配慮を頂きましたこと大変恐縮いたしております。

 私共の教会もこの地で宣教の課題を担って以来早くも一五年余になります。地域の様々な問題を少しでも共に担おうと小さな群れですが、しこしことやって参りました。今年度は、かねてより準備し関わってきた高齢者のケアシステムを何とか実現する所まで漕ぎ着けそうです。現在「あいファームの会」を母体としてNPO法人の設立を申請しています。この働きを教会の宣教の課題と位置付け、急激に加速していく 多摩市 の高齢化社会の問題に取り組んでまいりたいと思っています。この夏休みには教会員を中心に八名のものでスウェーデンの福祉社会を視察してきます。

 御教会におかれましては会堂建築のヴィジョンが具体的に叶えられる日も間近いと伺っております。良き器が与えられ、ますます教会の使命が全うされますように心よりお祈り申し上げております。

 石川牧師をはじめ教会員の皆様の上に主の御祝福がますます豊かにありますようにお祈り申し上げ、先ずは心よりの御礼まで。

 一九九九年六月十三日 日本基督教団 東京復活教会

                 牧師 田村信征 】

 ここに、東京復活教会の明確な「教会のミッション」が示されている。

 さて、我が永山教会は「教会のミッション」をどう捉えているのだろうか?創立の当初、初代の中嶋正昭牧師の指導のもと、文字通り全世界の問題に取り組み、特にお隣の韓国の民主化の課題を共に担おうとしてきたし、現在も続けられている白楽荘の奉仕が始められた。教会員も若かったし、情熱的にバザーも行われ、その収益はすべてアジア学院など外部の諸活動の応援に捧げられた。しかし、会員が増加し、高齢化が進むに従って、いつの間にか、自分たちの礼拝を守る、という内向きの姿勢が強くなってしまった。

 それと共に、六年前から責任を負った私自身の失敗を告白しなければならない。私自身、同年代の牧師たちが次々と隠退して行くのを見て、いつまで責任を取れるのかという悪魔のささやきに負けてしまっていた。教会員の多数が納得すれば、どういう形でもいいじゃないか、と半ば投げやりの姿勢になっていた。しかし、教会は、自分の年代だけのものではない。主キリストのものであり、次の世代の人々のものなのだ。

 少なくとも、現在の教会員が何を目指していたかだけは、明確に残さなければならない。創立当初の中嶋牧師を中心とした教会員が目指していた「世界の祝福の源となる」という「教会のミッション」は、しっかり継承しなければならない。天上の中嶋牧師を悲しませてはならない。

 私自身、「理想を追いすぎているのではないか?」という悪魔のささやきに断固として立ち向かわねばならないと決意している。永山教会が、多摩ニュータウンのすべての人々に開かれているためには、駐車場の問題は、決して理想なのではなく、現実なのだ。そうでなくて、「どうぞ、どなたでもご自由においでください」とどうして宣伝できるだろうか?

 教会作りは、単に現在の教会員が担わなければならない課題であるだけではない。教会のかしらである、主キリストが先だっていてくださることを決して忘れてはならない。

 神は「わたしたちの知りえない大きな業を成し遂げられる」(ヨブ記三七・五)方であることを銘記しようではないか!