片山 日出雄海軍大尉(「アンボンで何が裁かれたか」 --捕虜を銃殺した責任者として裁かれたのです--オーストラリヤ側には、恨みがあったようです。--光教会という名前の教会を収容所の中に作り、日々聖書研究をはじめました。この聖書研究会で、次から次に、洗礼を受ける人が出てきました。--無実である彼は、自分を裏切り、平和な生活を送っている上官のことを知っていました。周りの人が告発したら、と、言ったのですが、『私のようなことが起こらないためにも、せっかく幸せに暮らしている人の幸せを壊すわけには行かない、わたしが死ぬのだ--彼は自分の無実を晴らすことにも努力したのですが、他の人の無実を晴らすためにも努力しました--私がここで処刑されるとしても、わたしは豪州人になしたことのために死ぬのではなくて、日本が戦時中なしたことの故に死ぬのであります”日本の罪を負って死ぬ”--日本とオーストラリアの平和につながりますように--) 教会は膨大な無駄遣いをするところ(ノアの箱舟のように航行能力のない一見無駄なような船を作ったと聖書は言う 教会は一つの船で全人類の救いのシンボル) 苦しみを負おうしないものはキリストの恵みにあずかれない 藤木正三(神の前で死んだものは一つもない--生きている神の前に存在しているものに死はない--つまらぬ雑用も生きるのです、無駄と思える努力も生きるのです、むなしく過ぎたと思える時間も生きるのです、踏みにじられた行為も生きるのです、役に立たなかった準備も生きるのです、報いられなかった忍耐も生きるのです、はかなくついえた希望も生きるのです、みんな生きるのです--罪さえも生きるのです)
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