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敬謙なサムソンの母

                        (士師記13125
                                            石川和夫牧師
  

 

 士師記に登場する十二人の士師の中で、ギデオンと共に最も有名な士師がサムソンです。「サムソンとデリラ」という題の映画もあります。怪力の持ち主で、たった一人で当時の支配者だったペリシテ人と戦いました。それまでは、支配者ペリシテ人の前には、卑屈になって頭が上がらなかったのですが、サムソンの孤独で英雄的な戦いがあってからは、軍事的には優勢だったペリシテ人に攻撃的に立ち向かうようになりました。
 このサムソンの母が今回の主人公です。サムソンが有名であったのに、彼の母の名は記録されていません。しかし、たいへん敬謙な人だったことをうかがい知ることが出来ます。
 彼女は、長い間不妊で、子を産んだことがありませんでした。しかし、主の御使いから、男の子を産むことを告げられますとすぐに夫のマノアにそのことを知らせるとともに、主にもう一度主の御使いを送って、生まれてくる子をどうすればよいのか教えてほしいと祈ります。
 普通だったら、待望の子どもが与えられると告げられただけで有頂天になってしまいます。もっとも、生まれてくる子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられていると知らされていたので、事の重大さに神に対する畏れから、祈らないではいられなかったのかも知れません。
 後に、主の御使いに会ったことを悟った夫のマノアが神を見たのだから死なねばならないと言った時に、彼女は落ち着いて、
 「もし主がわたしたちを死なせようとお望みなら、わたしたちの手から焼き尽くす献げ物をお受け取りにはならなかったはずです」(13・23)と答えています。これほど信仰的で敬虔な彼女の名前が記録されていないのは、すべては神が主役なのだということを聖書が主張しているのでしょうか。