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世話好きのモーセの姉、ミリアム
(民数記12・8)

                                             石川和夫牧師
  

 「あなたたちは何故、恐れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか。」(民数記12・8)
 モーセがクシュ(現エチオピア)の女を妻にしたことを非難した彼の兄と姉、アロンとミリアムは、神の憤りを買います。異邦人との結婚は固く禁じられているはずなのに、神がなぜ憤られたのでしょう?問題は、クシュの女との結婚よりもその後の二人の言葉にあったようです。
 「主はモーセを通してのみ語られると言うのか。我々を通しても語られるのではないか。」(民数記12・2)これに続いて、「主はこれを聞かれた。モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙虚であった。」(民数記12・3)と書かれています。二人がモーセを弟と見下げていたことが問題のようです。
 姉のミリアムは、赤ん坊のモーセを葦で編んだ籠に入れて、ナイル川に流したとき、その行く先を見守っていました。その上、王女に拾われると乳母として彼らの母を連れて宮殿に住まわせたのです(出エジプト記2・4)。姉として、よく面倒を見ていたと言えます。母親代わりの気分をモーセに対しては抱いていたのでしょうか。肉親の情愛が神の選びという厳粛さを見落としたとしても不思議ではありません。集会中のイエスを呼び出そうとした母マリアが、イエスに「わたしの母とはだれか。」と言われた出来事を思い起こします(マタイ12・48)。
 そのミリアムは、後に無事」エジプトを脱出できた直後には、全員の賛美の行列の先頭に立って、音頭を取っています(出エジプト記15・20、21)。
 うまくいっているときには、気にならないことが、何か問題が起きたときに、信仰的に受け止めるよりも肉親の情愛が先に立つことがあるようです。