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共感への招き

                                          石川 和夫牧師

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、

「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

(マタイによる福音書9章9節)

 まもなく、敗戦六十周年を迎えます。六十年たってみて、太平洋戦争の見方が、様々あるということがよく見えてきています。(あの戦争は、)侵略戦争であった、という見方から、靖国神社の就遊館に示されているように、あの戦争はすべて正しいもの、虐められたから、やむを得ず戦ったのだという、まるで戦中よく聞かされた、見方まで、様々あります。六十年たつと、過去についての出来事の見方が色々あるのだということを実感させられます。

 マタイによる福音書が書かれたのは、イエス様の事件、十字架の出来事があってから、約六十年後ではないかといわれています。六十年ぐらい経った頃に書かれたと言われますから、現在の私たちが、太平洋戦争を振り返るのと同じぐらいの期間に相当します。生き証人が段々と減ってきます。

 十字架で死なれたという驚天動地の出来事があって、なぜ、イエス様が一番ひどい十字架の刑を受けなければならなかったのかということについて、いろいろな理解の仕方が出てきました。

 まず初めに出てきたのは、神様がわたしたちの身代わりとしてわが子を十字架で殺したことによって、私たちの罪を許されたのだという贖罪の信仰、贖罪論信仰が生まれてきました。同時に、イエス様は、三日目に蘇られたという証言があり、それが広まって、復活信仰が生まれてきました。

 現代では、ビデオ、写真、映画、新聞記事といったありとあらゆる証拠品が、目に見える形で残ります。しかし、そのような形で、太平洋戦争の証拠品が残っていながら、六十年たった後では、事件の解釈の仕方がさまざまに変わります。イエス様の出来事についても、伝えられていくうちに色々と変わっていくことも自然でした。

マタイが強調したかったこと

イエスはそこを立ち、通りがかりに、

マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、

「わたしに従いなさいと」言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

(マタイ福音書 9章 9節)

 ここには、十二人いるイエス様の弟子の一人に、マタイという弟子を選び出したことが書かれています。マタイによる福音書の出典となっているマルコによる福音書にも、この出来事が書かれています。収税所に座っている徴税人を、マルコによる福音書では、レビという名前で呼んでいます。マタイによる福音書では、このレビという名前をマタイと変えましたので、いつの間にか、イエス様の弟子であったマタイが、マタイによる福音書を書いたのだということになっていたのです。

 しかし、その後、聖書学者たちによって、イエス様の弟子であったマタイが書いたことは間違いであるということが分かりました。福音書を書いたマタイ(本当の著者は分かりませんので仮にマタイとしておきます)は、マルコによる福音書が出た後で、マルコによる福音書をお手本にして、書いたのだということが、判明してきます。もしも、イエス様に直接、接していた弟子のマタイであったら、マルコによる福音書をお手本にする必要はなかったわけです。独自の書き方が出来るはずです。マタイは、マルコによる福音書から引用した、

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」

(マタイ福音書 9章 12節)

というイエス様の言葉を強調したかったようです。

 嫌われ、差別された徴税人

 ある本では、収税人をこのように説明しています。

 「徴税人」というのは、ローマ占領軍から請け負って、民衆から税金を取り立てる役目……。それも、「人頭税」のように人数によって否応なしに取られる税でなくて、通行税や物品税のように、現場にいてチビチビ取り立てないと取れない種類の税を取る役目で……。元請けは、一定地域から取ると、請け負った額を、ローマに納めたら、後は自分のフトコロにいれるんで、ボロ儲け……。下請けは現場でみんなにいやがられながら取り立てなくちゃならなくて……。結局、人にいやがられる仕事なんで、徴税人という職業そのものが貧しい被差別者の仕事だった……というわけなんですね。とあります。(渡辺英俊「地べたの神」−現代の<低み>からの福音―新教出版社、2005年7月7日、初版、214-215頁)

 ルカによる福音書19章に出てくる収税人ザアカイは、元請だったようです。レビ、この人は下請けだったようです。ですから"収税所に座っていると"と書かれているわけです。収めた後の、余分に入ってきたものは全部自分の懐に入ります。

 収税人が嫌われ、差別されるのは、ひとつは、異教徒であるローマ人のために国民を裏切って税金取りをするということ。もうひとつは上前をはね、不道徳なことをし、当然許されることではないことを平気でしているという理由からです。

 当時のユダヤ教のラビとよばれる学者は、徴税人が、許される条件として、不正に取り立てた人全部に、不正な取立て分を返すだけではなく、さらにその五分の一を追加して返しなさいということを提示しました。

 記録もなく、不特定多数の通行人から取り立てるわけですから、誰から集めたか、分かるはずがありませんので、事実上返済不可能です。ということは、徴税人は絶対に許されないということになります。そのような罪びととは仲間になりたくないと差別されます。このように差別された徴税人になる人は、もともと差別されていて、世の中から浮かび上がることの出来ない立場の人たちでした。どのようにしても、みんなから憎まれ、嫌われるならと開き直っていたのでしょうか。

イエスは催眠術師?

「わたしに従いなさいと」言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

(マタイ福音書 9章 9節)

 と、簡潔に書かれていますが、よく考えると、これは大変な出来事でした。

 一般のユダヤ人は、見るだけでも、穢れそうなマタイが、机を出して通行人から税金を取り立てている側を通りたくありません。でも、声をかけられたら、仕方ないから払います。当然、目を合わせようとする人はいません。誰でもマタイと目が合わないように、そっぽを向いて歩いていました。ところが、イエス様は、このマタイに対して、自分から目を合わせられました。そして、「わたしに従いなさいと」と声をかけられました。

 たぶん、このときのイエス様の目は、何の差別感も持っていなかっただけではなく、やさしさに満ちていたのでしょう。例えが悪いのですが、私の家で飼っているペットの犬の目と同じだったのだと思います。犬には善悪の知識がありませんから、この人、善い人、悪い人という区別がなく、常に人の心を見て反応します。先入観や偏見は持っていません。イエス様は、徹底して善悪の知識を乗り越え、善悪で人を判断しないお方でした。気持ちのほうに目を留められました。「愛は評価しないで共感する」と言われているとおりです。

 マタイは、収税所に座って仕事をしながら、寂しい、侘しさを漂わせていたのではないでしょうか。イエス様は、それを見逃さない。彼と目が合うとすぐ、「わたしについてきてよいのだよ」と言われました。マタイは一も二もなく従いました。イエス様の愛は、この絶妙なタイミングの取り方にも表れます。福音書の簡潔な記述だけ見ていると、まるで、マタイがイエス様の催眠術にかかったかのように見えますが、登場人物の心の動きをよく想像してみると。実に理に適っていることが分かります。

いっしょにメシを食おうよ!

イエスがその家で食事をしておられたときのことである。

徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。

(マタイ福音書 9章 10節)

 イエス様は、弟子たちとマタイの仲間の徴税人たち、売春の罪で裁かれた女性、その他大勢の罪びとたち(彼らをいわゆる「前科者」といっしょにしないでください。当時の律法を守っていない人、守れる状態にはない人たちのことを指しています)と一緒にマタイの家で、食事をなさいました。福音とは、共にメシを食うことである、といった人がいますが、イエス様は、文字通り、メシを食うことを楽しまれた方でした。聖餐式の原点も、この「メシ食い」にあります。

 このとき食事を共にした仲間の大勢は、その当時、完全に穢れた、罪びといわれていた人たちでした。このような人たちと食事を共にするということは、当時のユダヤ教の価値観からすればとんでもないことでした。だからイエス様は十字架につけられたのです。

 今、わたしたちは、このイエス様に招かれています。「おいでよ」といわれています。だから、ここに集っています。このことをわたしは、”共感への招き”と申し上げます。

 今まで、キリスト教は、イエス様が十字架に架かって死んでくださったのだ。だから、私たちの罪は許されたのだという信仰が中心でした。このように信じることは、大事なことですが、もう一方で、イエス様が私たちをお招きになったのは、イエス様と同じように行動してくれよ、手伝ってくれよという意味があります。イエス様のように共感し、差別され、孤独になっている人に、わたしの代わりで頼むよ、というのがお召しになってくださっているもうひとつの目的です。イエス様のように共感し、人々の心に目を向け、触れ合っていくことが求められています。

病気も恵みを共感するとき

 以前、高幡教会に居られた晴佐久昌英神父が、この3月に”恵のとき”という本を出されました。前に出版され、評判になった”病気になったら”という詩集の生まれた経過を綴ったものです。一部その内容を紹介します。

 晴佐久神父は、十年前に、ぎっくり腰になりました。痛くて、我慢が出来なかったので、病院に行きました。診てもらう時に、かねがね気になっていたひざの痛みも見てもらいました。腰のほうは、特に異常もなくて、すぐ直りますといわれたのですが、ひざのほうは、腫瘍が出来ているようで、精密検査をする必要がありますといわれました。ガンの可能性があるということで、癌センターに入院することになりました。

 入院した最初の晩に、ひとりになると、どういう訳か、涙があふれて、ベッドで大泣きしました。検査の結果は、悪性の腫瘍ではありませんでした。元気に退院されたのですが、入院したときには、それなりの覚悟をしたときがあったそうです。この事が契機になって、"病気になったら"という詩が生まれたようです。

病気になったらどんどん泣こう……………

病気になったら思い切り甘えよう…………

病気になったら心ゆくまで感動しよう………

 まだ続くのですが、この本のむすびで、晴佐久神父は、次のように述べています。

 病気はつらい、誰がなんといおうとも、ただただ、つらい。しかし、病気はただの不運ではないし、無意味な苦しみでは決してない。ちょうど、出産は苦しいが、その苦しみをくぐりぬけなければ本当に尊いものは生まれないように、すべての病気には崇高な意味があり、すべての痛みが人類を深いところで支えている。もしも病気が無意味ならば人生もまた無意味であり、人生が無意味ならばこの宇宙万物もまた無意味であろう。

 現代社会は、病気を無意味な苦しみとしか理解していないし、あらゆる痛みを不必要なものとして遠ざけることしか考えていない。病気はただ「あってはならないこと」にすぎず、人々の関心はせいぜい「病名」や「薬」や「治療費」であって、おそらく、現代人にとって「病気」は存在していないのだ。清潔でピカピカの都市から、老人も、障碍者も、ホームレスも排除されて施設に収容されてしまったのと同じことで、心と体の病気もまたその本来の気高い意味を剥ぎ取られて、病院という名の収容所に密閉されている。(文 晴佐久昌英、絵 森雅之、「恵みのとき」、サンマーク出版、2005年3月30日、初版)

 晴佐久神父は、自分が経験してみて、病気は恵みのときなのだ、例え、直ろうと直るまいと、素晴らしい恵みのときなのだ、意味があると主張されています。病気のときは、まさに共感が生まれる大事なときなのです。

病気になったら 心ゆくまで感動しよう

食べられることがどれほどありがたいことか

歩けることがどんなにすばらしいことか

新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか

忘れていた感謝のこころを取り戻し

この瞬間自分が存在している神秘

見過ごしていた当たり前のことに感動しよう

またとないチャンスをもらったのだ

いのちの不思議を味わうチャンスを

 わたしたちはこのような共感で招かれているのです。イエス様と一緒に歩みましょう。

 お祈りします。

 天のお父様。今日もお招きくださってありがとうございました。使徒書に、今は恵のとき、救いの日と、パウロが高らかに宣言しています。私たちは日々、恵のときを与えられています。でも、わたしたちの価値観が邪魔をして、しばしばこのような日がなければと、思ったり、また、素晴らしい恵のときを、情けないときと誤解しがちでございました。あなたの恵が満ち溢れていることを、この週も歩みの中で、しっかり受け止めていくことが出来るようにお助けください。主イエスキリストの御名によって祈ります。

 アーメン

 (2005年7月17日 聖霊降臨節第10主日 第二礼拝 説教)