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自分で聞いて

石川 和夫牧師

彼らは女に言った。

「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。

わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

(ヨハネによる福音書4:42)

 今日の福音書は、先週の続きです。サマリアの女とイエスの対話の続きです。絶交状態であるユダヤ人としてのイエスとサマリアの女とが、イエスの大変謙虚な語りかけから、会話が始まり、次第に彼女が、自分の過去を言い当てられながら、自由になっていくのです。

 買い物から戻った弟子たちが、井戸のところに来て、どうしたのですか、と聞くものは誰もいなかった、と書かれています。ということは、もう既にそのときには、何も言わなくても、イエスとその女との間に、新しい関係、自由な関係が生まれていた、ということを弟子たちは感じ取っていたようですね。

 その後すぐに、彼女は自分から隔てを作っていた村の人たちの所に出かけて行きました。きっと、顔つきも変わっていたと思います。そして、人々に言います。

 「私のことを何もかも言い当てた人がいます。ひょっとすると、この方がメシアかもしれません。」

 彼女は、もう既にメシアと信じていたと思うのですけが、みんなに興味を持ってもらうために、

 「私は、メシアに会いました」

と言えば、

 「なにを、おかしなことを言うのだ」

と受け取る人がいるかもしれません。ですから、「メシアかもしれません」と言ったのだと思います。

 村の人たちは、彼女があまりにも生き生きと輝いて、しかも自由になっているのを見て、それで、イエスのところに会いに行くわけです。

 今日は、そこのポイントのところだけを学びたいと思います。イエスと弟子たちの食べ物論議は飛ばします。

ただ、聞くだけではなく

サマリアの女の証言に基づいて、イエスに会いに行った人たちが、みんなイエスを信じた、と書いてあります。その次がとても大事だと思います。

「そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、

自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。」

(ヨハネ4:40)

 それで、イエスは、二日間、そこに滞在されました。この記事は、ヨハネによる福音書一章で、「イエス様どこにお泊りなのですか」と弟子たちが聞いたときに、「来て見なさい」と言われた弟子たちが、イエスと一緒に暮らしてみて、はっきり、イエスの弟子になる決断をします(1:35〜42)。そのことを連想させます。この‘とどまるように’というのと‘滞在された’というのは、ヨハネによる福音書一章のときと同じ言葉が使われています。ヨハネによる福音書は、ユダヤ人向けに書かれているのですが、ヨハネは、そのユダヤ人の嫌っているサマリア人が、このように、イエスに向かって信仰を告白しているのだ、ということを、あえて知らせているようですね。私は、特に、最後の言葉、

「彼らは女に言った。『私たちが信じるのは、

もうあなたが話してくれたからではない。

わたしたちは自分で聞いて、

この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

(ヨハネ4:42)

に注目したいのです。

 今回は、「自分で聞いてと」いう説教題にしました。これが、とても大事な鍵なのだと思います。これは、私たちの信仰生活にもかかわりがあります。たんに説教を聞いて「ああ、そうだな」とだけだったら‘聞いて、ただ信じた’というだけかもしれないのですけれども、その前にとても大事なことですが、イエスが一緒に泊まったと書いてあります。イエスとの経験を耳で聞いただけではなく、イエスと一緒にいる経験をしたことを通して、信じたということになるわけです。

たくさんの愛が

 以前にも紹介したことがありますけれども、静岡県の浜松にある聖隷クリストファ大学看護短期大学部の教授で、平野美津子さんという方が、教団出版局から、「たくさんの愛をありがとう」という題の本を出版されました。

 2001年の5月20日に、夫の達郎さんを脳腫瘍の病気で天に送るのです。そのとき達郎さんは48才でした。発病は、1955年の11月11日、急に癲癇発作を起こして入院、14日に脳腫瘍の手術をしました。脳を冒されたわけですから体が不自由になったわけです。車椅子の暮らしになってずっと闘病を続け、その翌年からホスピスに入院、退院を繰り返しながら治療を続けていたのです。

 「たくさんの愛をありがとう」というこの本の題ちょっと聞くと平凡なのですが、わたしには、この言葉がとても重いな、ということをこの本の中で痛感させられました。この本の中で、彼女が一番言いたかったことだろうと思うことは、夫の達郎さんが発病して三年目ぐらいの頃に、浜松から名古屋大学まで治療に通ったときの話ではないかと思います。

 シートを倒して、達郎さんが一緒に乗っている車の中で、ラジオから、三浦綾子さんの話が聞こえてきました。彼女の一代記を彼女は淡々と語っていたのです。ご存知のように、彼女は病気のデパートと言われるくらいに、あらゆる病気を若いときからずーと持っていらしたのです。このトークの中で、三浦さんが自分の人生を振り返って、神様に、「もう一度この人生を送りなさい」といわれたら、喜んで「はい」と答えますといったのです。その言葉を聞いたとたん、彼女は、

 「いやいや、まっぴらだな、こんな苦しみをもう一度味わうなんて、私だったらノーサンキュウと答えちゃうけどな」

と言ったのです。それを聞いていた夫の達郎さんは、肩を揺らして大笑いしたのです。「そうだろう、そうだろう」とね。その時点では、「三浦さん、すごいな、偉いな、あんなに病気のデパートでも、そういう人生でも、もう一度結構ですといえるのだな」と、人ごとにして、私には、とてもとても言えることではありませんと思っていたのです。ところが、この本を書いたころになると、だいぶ考えが変わってきたのですね。彼女の言葉をそのまま紹介しましょう。

 あなたならどうでしょうか。働き盛りの43才になったばかりの夫が悪性の脳腫瘍になり、右半身麻痺となり、失語症が進む。子どもたちは、まだ中学生や小学生。夫の症状は徐々に進んでいく、夫の両親との摩擦や不和は広がる。私はこの間に母親を亡くしています。仕事を持ちながらの在宅看護は、ヘルパーさんたちの費用も大きな負担です。夜は数時間毎にトイレに行く夫の介助をしなければなりません。子どもたちの進学、治療決定など重要な判断が、あなた一人の手にかかってきます。一方、夫の命は、数ヶ月単位だと言われます。あなただったら、神様が「もう一度この人生を送りなさい」と言ったら、進んで「はい」と言えますか。(平野美津子「たくさんの愛をありがとう」、日本基督教団出版局、2003年5月20日、初版、123-124頁)

 こういう状態の中で、彼女は、それまでには経験したことのなかった、たくさんの愛の経験を通して、三浦綾子さんの「もう一度、この人生を送ってもいい」といった意味が理解できるようになります。三浦さんは、それほどの病気や治療、執筆の経験の中で得られた、そんな多くの人の慰めや支えのことを言っているのではないだろうか、と思うようになります。彼女が、そのエッセイの最後に述べている彼女自身の気持のところを紹介します。

 我が家の子どもたちも、心身共に、確実に豊かに成長しています。まじめに人生を考えようとしています。私は、職場に恵まれ、同僚たちの理解の中、ホスピス看護スタッフたちの暖かな眼差しの中で、仕事を続けながら夫の介護をすることができました。

 ホスピスでの日々の中、私は、人の支えと励まし、そして慰めや祈りを、穏やかな気持ちで受け入れ、感じることができるようになってきたようです。とどのつまり、そんな悪い人生ではなかったのではないでしょうか。神様から、「もう一度この人生を送りなさい」と言われたら、「喜んで」とは義理でも言えませんが、「まあいいか」くらいには、答えられそうな気がします。(前掲書126-127頁)

そんな大変さの連続だからこそ

 つまり、視点を変えるわけです。自分中心で大変だ、大変だということではなくて。こういうことになっていなかったら、経験しなかった、たくさんの愛に触れる。そして、そこで、自分は、もがき苦しみ、何かしているのだけども、だけど、ちゃんといいように、導かれる。一番心配だった子供たちが、ほんとうに、お父さんを愛して、立派に最後を見送る。遺体を拭くことまでするのです。そして、割り切って、淡々としているのです。彼女も、勿論よいスタッフに恵まれ、環境がよかったということがあるのですが、考えてみたら、このような経験をしていなければ、こんなにたくさんの愛を私は受け止めていなかっただろうなと思います。だから、「たくさんの愛をありがとう」というのは彼女の死ぬほどの苦労や経験の中から与えられたものです。

 たくさんの愛を看護師さんから与えられました。彼女が落ち込んで、泣いているときに、何も言わないけど、傍に来て、ちょっと肩に触れてくれる。何も言わないけれども、無言で、触れてくれているというだけで落ち着いてくる。これをタッチケアというのだそうです。

 彼女は、皮肉っぽく言います。病気が分かったとき、一番しんどいときに教会で「試練に耐えてください」とか、「あなたのために祈っていますよ」と言われました。それを聞くと、とてもいらいらしました。祈れないでいる自分に、「祈っていますよ」と言う人がいます。そしたら、祈れない自分が、よけいに惨めになります。そのような時には、むしろ言葉が無くてもいい、後ろで、そっと触れてくれればいい。無言のタッチが、すばらしい愛を伝えます。

 あらゆることを通して、彼女は、自分がどんなにたくさんの愛に囲まれているかを知りました。‘自分で聞いて’ということは自分の経験の中で、たくさんの愛を感じ取るということです。この、サマリアの人たちは、イエスと一緒に、ちょっと暮らしただけで、イエスの愛を感じ取りました。だから、誰がなんと言っても、この方だと信じました。これが私たちのとても大事な信仰になるのではないでしょうか。それには、日々の暮らしが大事なのです。日々の暮らしと礼拝とが循環することによって、日々の暮らしの中、礼拝で与えられた豊かさが、ほんとに豊かだというように変えられてゆく。この経験をしないで教会は教会、普段の暮らしは暮らし、これでは、本当に恵まれる、ということはありえないでしょう。

 お祈りします。

 聖なる御神様。今日も、私たちをお招きくださって、ありがとうございました。私たちも、どんなに、たくさんの愛を、いろいろなことを通し、人を通して、与えられているか、にまったく無頓着でした。自分中心に、不満を言い、足りない、足りないと、欲に駆られ、周囲の人々を不愉快にさせたり、悲しませたりすることを繰り返していましたことを、心からお詫びいたします。あなたはどんな状態のときでも、しっかり共にいてくださって、支える人を送ってくださり、また、愛を無限に送っていてくださいます。どうぞ、この週も、たくさんの愛を自分が受け止めていくことが出来るように、御前に、常にへりくだらせていてください。主、イエスキリストの御名によって祈ります。

 アーメン