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「神が住む」

 石川 和夫牧師

 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、

一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

(ルカによる福音書二一・六)

 

  「聖書翻訳の際、ギリシア語の『エクレシア』を、チャーチ(英語)あるいはキルヘ(ドイツ語)と訳してしまい、それを漢訳聖書が教会とし、邦語聖書も教会としたことは、たいへん残念なことだったと、私は思っています。」

 「信徒の友」二月号の特集「共に生きる共同体」の中で、隠退された山下萬里牧師が述べておられる言葉です。「教会」と訳したことで、「先生と弟子」の関係、もしくは一つの組織になってしまった、と主張されているのです。

 「エクレシア」という言葉は、「呼び集められた集団」を意味していて、共同体を指しています。山下先生は、続けて、こうおっしゃっています。

 「旧約聖書にある『カーハール』という言葉は、口語訳では『全会衆』ですが、新共同訳では、『共同体全体』と訳されています。この言葉も呼び集められた人々の群れを意味し、七〇人訳ギリシア語聖書では、その訳語として『エクレシア』を用いました。新約聖書でもその意味内容を継承しました。私は今日、教会とは主イエス・キリストによって呼び集められた人々の群れ、共同体であるという意識と現実を、もう一度取り戻さねばならないと思っています。」(「信徒の友、二〇〇三年二月号、一八頁)

 今日の主題は、「新しい神殿」です。今日、読まれた聖書のすべてに、「神殿」という言葉が出ています。中心である福音書も、イエスが神殿で話された話です。最初の物語が、貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れるのをご覧になって、イエス特有の逆説的表現で、

 「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。」(ルカによる福音書二一章四節)と言われます。当時、献金した人は、祭司に、「私は、何々のために、これだけ献金しました」と報告していたようです。そして、それが、そこいらにいる人たちに聞こえていました。

 それをイエスは、とても苦々しく思っておられたのでしょう。レプトンというのは、当時の貨幣の最低単位でした。レプトン二つが生活費のすべてだった、というのですから、かなり貧しい暮らしをしていたわけです。その生活費をすべて献げたというのです。

 私たちは時々、「レプトン二つをお献げします」と謙遜して使いますが、それは間違っていますね。これは、額の小さいことを表現しているのではなくて、神様に、文字通り生活のすべてを委ねた信仰の表現だったことを意味しています。私は、これだけしました、と報告することは、神さまよりも人の前に自慢したことになります。それは違うだろうとイエスさまがおっしゃっているのです。

  崩壊する古い神殿

 その次は、神殿の荘厳さに感心している人たちのことです。当時の神殿は、かつてソロモン王が贅を尽くして建てたのをバビロン軍が破壊したので、ヘロデ王がソロモンに対抗して、たいへん豪華に建て直したものでした。ですから、この神殿を見た人たちは、その豪華さに目を奪われて、「立派なものですね」と驚嘆していたようです。

 これに対して、イエスは、

 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、

一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」(ルカ二一・六)

と言われたのです。こんなものは、いつ崩れるか分からないぞ、ということです。事実、紀元七〇年に、ユダヤ戦争で、ローマ軍によって完全に破壊され、今日に至るまで、再建されていません。

 この福音書の著者であるルカは、そのことを知っていたようですが、ルカが参考にしたマルコによる福音書は、神殿破壊以前に書かれたようです。だから、マルコでは、「終わりが近い」という表現をしています。神殿の崩壊が「終わりの時」と受け止めていたふしがあります。

 ところが、ルカは、そのような神殿破壊は、「終わりの時」の前ぶれなのだ、だから、もっと謙遜になって神様に向かわなければいけないと勧めています。いずれにしてもイエスは、目に見える形の神殿に気を取られていてはいけない、そこは、真剣に神さまを礼拝するところで、むしろ目に見えない神殿に目を止めなさい、と言われます。

 山下先生は、エクレシアが「教会」と訳されたことによって、残念なことになっているとおっしゃっています。

 「私たちは、教会を共同体ではなく、文字どおり教える会にしてしまいました。教える者と教えられる者とは、厳然と区別され、それぞれ牧師、信徒と呼ばれます。そして教える者と教えられる者とは、ほんとうに心を分かち合うことはできません。

 あるいは、キリストの業をなすべき組織としてしまいました。組織であるなら、いちばん効率のよい組織は軍隊であるように、牧師が信徒を支配するようになり、信徒の間にも支配関係が成立します。いや、逆に信徒が牧師を支配しようとするかもしれません。そして共同体は崩壊するのです。

 牧師にせよ、信徒にせよ、『この教会は私が守らねば』と思い始めるやいなや、どんなに真面目で、熱心で、精力的であろうと、そうであればあるほど、共同体は破壊されるのです。なぜなら、共同体は主イエスによって存在させられるものであり、私たちの努力の結果でも、理想でもなく、主イエスによる霊的な現実だからです。」(前掲書一九頁)

 ほんとうは、山下先生の全文を紹介すればいいのですが、紙面の都合もあるので、はしょって結びに入ります。

 「主イエスにある共同体の任務は、慰めの言葉を告げ、主イエスの慰めにあずからせることです。人は聖書の言葉を語っていれば、それが慰めになるはずと思っていますが、そうではありません。ことは説教にかかわっています。ほんとうに慰めの言葉が語られているか、です。しかし、慰めの言葉は共同体全体で語られなければ、力を持たないのです。

 説教で、『主イエスは私たちをありのままに受け入れてくださった』と心にしみ入るように語られても、その後で誰かが誰かに、『あなたの信仰はなっていない。もっとしっかりした信仰を持ってやりなさい』と言ったら、すべては失われてしまうのです。共同体が慰めの共同体であってこそ、そこで告げられる慰めの言葉は、人の魂に伝わるのです。

 私はエフェソの信徒への手紙四章二九節に注目します。『悪い言葉』は、役に立たない言葉のことですから、原文を言い換えれば、『人を建てるのに役立たない言葉を口にせず、人を建てるのに役立つ言葉を語りなさい』となります。

 あえて『建てる』と言ったのは、共同体を念頭においているからです。個人についてなら、その人を『引き挙げる』となります。人を引き挙げるのは聖霊ですから、その人の中に、共同体の中に働いておられる聖霊を見いだし、示してあげることを意味します。

 共同体を建てるのは聖霊なのです。そうであれば私たちは、牧師・信徒それぞれに、また共に、独りで、共同体として、み言葉に聴き、祈り、従うほかありません。」(前掲書二一頁)

  私たちが神殿

 パウロは、私たちが神殿なのだ、と言っています。

 「神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。

わたしたちは生ける神の神殿なのです。」

(コリントの信徒への手紙二・六章一六節)

 紀元前六世紀、バビロン軍によって破壊された神殿の再建工事にかかろうとするイスラエルの民に、預言者ハガイが言いました。

 「ここに、お前たちがエジプトを出たとき

 わたしがお前たちと結んだ契約がある。

 わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。

 恐れてはならない。」(ハガイ書二・五)

「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさる  と万軍の主は言われる。

この場所にわたしは平和を与える』と

万軍の主は言われる。」(ハガイ書二・九)

 ほんとうに礼拝が捧げられ、支えあう共同体となるときに、そこに神が住まわれる。形だけであったり、序列のついた神殿に神はお住みにならない。イエスは、神の住まない神殿を見て、たいへん厳しい言葉を出されたのです。

  土の器でも

 同じ「信徒の友」二月号に、昨年の「信徒の友セミナー」で講演をされた久世そらち牧師(旭川豊岡教会)のお話が掲載されています。その結びのところで、こう言っておられます。

 「私たちの旭川豊岡教会は、一〇〇年の歴史を刻むことを許されましたけれども、主の前にあまりにふさわしくない土の器にすぎなかったことをうなだれて告白せざるを得ません。にもかかわらず主は、土の器の私たちを不思議に用いることができるのです。痛ましく死んでいった一人の牧師(戦前、戦後の混乱期に、ついに餓死された)、そしてまたその出来事を痛恨の棘として痛みを抱え続けた一人の信徒の働き(痛恨の棘を抱え続けて、遂に、『隠退教師を支える運動』の発起人となって運動を全国に広めた牧田建夫さん)は、今も豊かな実りをもたらしています。

 私たちは、自分自身とそしてまた教会が抱える弱さ、もろさ、罪を主の前に率直に告白する者でありたいと思います。そしてそういう死と滅びの器を、なお、よみがえらせ、新しい命を与え、生かしてくださる主を信じるのです。」(信徒の友二月号七一頁)

 「私たちは、神の神殿です」と宣言したパウロは、その同じコリントの信徒への手紙の中で、

 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」(コリント二・四・七)

と言っています。土の器は、もろいし壊れやすい。すぐ粉々になる。私たちも同じように壊れやすいし、すぐ粉々になったりするけれど、「そういう死と滅びの器を、なお、よみがえらせ、新しい命を与え、生かしてくださる主を信じる」ときに、その土の器が神の住むところとされるのです。

   (二〇〇三年二月二日、降誕節第六主日、第二礼拝の説教要旨)