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「譲れない一点」

石川和夫

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。

それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。

あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。

栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

(ペトロの手紙一四章一三,一四節)

 一九九五年二月一六日、あの阪神大震災の一ヶ月後です。京都の同志社大学のキャンパスの中で、一つの詩碑の除幕式が行われました。同志社のキャンパスの中には、創立者の新島襄の「良心の全身に充満せる丈夫(ますらお)のいでんことを」という碑以外に詩碑が建てられたのは、これが初めてでした。それは、その日の丁度五〇年前、二月一六日に福岡の刑務所で二七歳の若さで獄死した韓国人の尹東柱(ユン・ドンジュ)という人の詩碑でした。

 彼は、一九四三年七月、同志社大学に留学中に彼の敬愛してやまなかった従兄弟の京大生、宋夢奎(ソン・モンギュ)が独立運動の疑いで京都下鴨警察署に逮捕されたとき、関連して逮捕され、多くの蔵本、作品、日記が押収されました。一二月、二人とも送検。翌一九九四年、治安維持法違反で懲役刑を宣告され、福岡刑務所に投獄されます。

 彼は、一九一七年生まれ、キリスト教系の学校育ちで、キリスト教信仰を持ち、幼いときから詩をよく書いていました。既に彼の祖国は、一九一〇年、「朝鮮併合」で日本の殖民地とされていました。しかし、これを受け入れたくなかった人々によって、彼の生まれた年、一九一七年に有名な「三・一独立運動」が行われます。当然、日本政府は、これに大弾圧を加えます。多くの人々が虐殺され、拷問を受け、悲惨な事件が続発しました。

 日本政府は総督府を通じて、「皇民化政策」を強力に推し進め、天皇に忠誠を尽くす「日本人」とするために、あの悪名高い「創氏改名」を実施します。日本人の名前を付けさせたのです。現在から見れば、完全な人権蹂躙です。言葉も日本語以外は禁じられます。名前も言葉も奪われたのです。

 彼は、大学に入るために日本に渡航しなければならなかった。そのためには、創氏改名に泣く泣く応じなければならなかったのです。そこで、彼の家系は「平沼」と名乗ることになっていたので、「平沼」と創氏します。彼は、このことについても非常に悩みました。独立運動をしている同志を裏切っているからです。

 最初、東京の立教大学に入るのですが、わずか半年で京都に移ります。立教時代、彼の最後の詩となったのが、「やすやすと書けた詩」ですが、それは、こういう言葉で書き出しています。

   窓の外で夜の雨がひそひそと話していて

   六畳部屋は他人の国

(一九四二年六月三日)

 こういうことについて私たちは全然気にしていなかったですね。民族の伝統と誇りを無視して、日本人の言葉と習慣に従わせる、ということが、どんなに屈辱を与えることだったか。

  同志社大学で詩碑の除幕式が行われた同じ日、ソウルの延世大学でも尹東柱五十周年追悼会が行われました。一九六八年に既に詩碑が建てられていましたが、その詩も同志社と同じ詩でした。

   死ぬ日まで天を仰ぎ

   一点の恥もないことを

   葉群れにそよぐ風にも

   私は心を痛めた。

   星をうたう心で

   すべての死んでいくものを愛さねば

   そして私に与えられた道を

   歩んでいかねば。

   今宵も星が風にこすられる。

 この訳は、ここの恵泉女学園大学の森田進先生のものです。この詩が書かれた時代は、黙示録の書かれた時代と丁度同じでした。ストレートに書くと必ず弾圧されましたから、表現に気をつけています。

 「死ぬ日まで天を仰ぎ」、つまり神を信じ、従い続け、「一点の恥もないことを」、恥とは罪のことです。神を裏切ることがないように、「そよぐ風にも」というのは、ちょっとした騒ぎです。当然彼は特高警察につけ狙われていた。「葉群れにそよぐ風にも/私は心を痛めた」、警察や日本人の疑いの目や動きにも心が動き、良心を痛めた。「星をうたう心で/すべての死んでいくものを愛さねば」、「星」とは、希望の星のことです。独立出来る時、解放される時を信じつつ、これまでの迫害で命を失った人だけではなく、「すべての死んでいくもの」というのは、憎い日本人をも愛さねば、「そして私に与えられた道を/歩んでいかねば」、殉教の道を歩んでいこうと決意しています。この詩は、彼の死の四年前に書かれていますが、すでに彼は殉教の覚悟をしていたのです。「今宵も星が風にこすられる」、つまり希望の星が迫害の風に揺らいでいる。希望の持てるようなことは一切見えない、そういう中で「死ぬ日まで天を仰ぎ、/一点の恥もないことを……」と歌ったのです。

苦難を喜ぶ

 今日の主日の主題は、「苦難の共同体」。その中心聖句は、ペトロの手紙一の四章十二節以下です。このペトロの手紙は、パウロの影響を非常に受けた人、シルワノ(五章十二節)が書いた、と言われています。シルワノという人は、パウロの第二伝道旅行に同行したシラスのことです。ペトロは、六二年にあのネロ皇帝の迫害で殉教した(伝説では、逆さ磔で)、と言われています。週報の表紙は、その写真です。その後しばらく経って、ローマの教会がシラスに、迫害に動揺している小アジアの信者に当てて励ましの手紙を出すように要請されて書いたとされています。

 そのような迫害や迫害の不安に対して。

 「キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」(四章一三節)と勧めています。

 「苦難を喜ぶ」というのが、ペトロの第一の手紙のテーマとなっています。この「苦難を喜ぶ」ということは、「心頭滅却すれば、火もまた涼し」ということではありません。歯を食いしばって耐え忍べ、という風に聞えるのですが、必死に我慢せよ、と言っているのではないと思います。

 今日の説教題が「譲れない一点」となっていますが、私にとって本当に譲れない一点は何なのか、をしっかり持っていないと苦難に耐えることは出来ないだけではなく、ましてや「苦難を喜ぶ」なんて、とても出来ません。

 今日、私たちは、目に見える迫害には遭ってはいません。時代がどう変わっていくかは分かりませんが、私たちにとって絶対に譲れない一点は何なのかを明確に持っていることは、どんな時代をも、その時勢に揺り動かされないで生きて行くためにも大切なことなのです。

 それは何なのでしょうか?色々な言い方があると思いますが、「キリスト・イエスの日を目指している」ということです。

 「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(フィリピ一・六)

 ペトロが言っている「キリストの栄光が現れるとき」のことです。そのときに、すべてのことが完成する。私たちの命の価値は、地上で生きている間にどれだけのことだ出来たか、とか、成功したか、失敗したか、で決められることではないのです。ゴールは、キリスト・イエスの日なのだ、主役は、キリスト・イエスであり、わたしたちの中で善い業を始められた神なのです。これが決定的に重要な一点です。

立派に死ぬことではない

 キリスト教もともすれば、現世での成功とか幸福をもたらす道具とされていなくもないようです。信仰を持っていると何事でもうまく行き、試練にも耐えられるのだ、と簡単に考えられている面も無きにしもあらず、というところです。

 どのように立派な殉教の死を遂げるか、というようなことではありません。何を本当に目指していたか、ということです。キリスト・イエスの日を目指している、その日にすべてのことが完成する、と信じて事に処しているか、ということがとわれています。それ以外には、人間のどんな業も空しいのです。時が経過すれば忘れ去られるだけです。

 だから、尹東柱の「死ぬ日まで天を仰ぎ」という生き方に徹しているか、なのです。韓国でも日本でもあの時代、神社参拝や宮城遥拝を強制されました。日本の教会は、あまりにも安易にこれを受け入れてしまいました。韓国でも受け入れた教会や学校はあったようですが、徹底して拒否したグループや教会があった。拒否した人たちは大変な迫害に遭い、犠牲者も多く出ました。

 しかし、後の時代に影響を及ぼしたのは、妥協しなかった人たちの信仰でした。譲れないことは何があっても譲らない。そのことが本当に出来たか、どうかよりも押し通そうとしたか、どうかが大切だった。

 尹東柱は、空しく二七歳の若さで倒れた。一九四五年二月一六日、福岡の刑務所で死ぬのですが、そのとき一際大きな叫び声を残して死んだので、看守が大変驚いた、という記録があるそうです。彼は、イエス・キリストの死に様が頭にこびりついていたと考えられるふしがあります。

  こんな詩が残されています。

      十字架

    追いかけてきた陽の光が

    いま 教会堂のてっぺん

    十字架にかかりました。

    尖塔があんなにも高いのに

    どのように上っていけるのでしょう。

    (実際に上る、ということではありません。キリストの十字架の死は、人間が近づくには、あま りにも高い、ということです。)

    鐘の音も聞こえなくて

    口笛でも吹きながらさまよい歩いて、

    苦しんだ男、

    幸せなイエス・キリストのように

    十字架が許されるのなら

    頭を垂れて

    花のように咲きだす血を

    たそがれていく空のした

    静かに流しもしましょう。

  これも一九四一年五月三一日の作品です。殉教の覚悟が、この時点で出来ています。十字架のイエスのように死を迎えようと。マルコによる福音書一五章三四節、

 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

に続いて、三七節、

 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

三九節、

 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

 この逆説です。殉教者らしい立派な死ではなくて、敗北宣言に聞える「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ。何かやけくその死に見えるけれど、わが神を呼び続けていた。天を仰ぎ続けていた。

 尹東柱は、どうにもならない圧迫の中で、最後はそれしかないだろう、という覚悟。それが最後の一際大きな叫び声を上げて息絶えたということに示されています。

 彼は、イエス・キリストの死をしっかり見つめていたから、あの迫害に耐えられたのです。こんな詩もあります。

        

    長い冬を耐えしのんだ私は

    一株の草花のように咲きはじめる。

    楽しい雲雀(ひばり)よ

    どの畝(うね)からも楽しげに高く跳びあがれ。

 春に野の空をピヨピヨと高く低く飛んでいる姿に、自分を重ね合わせていたのではないでしょうか。必ず、あの雲雀のように空高く飛び上がるときが来ると信じて。望みを雲雀に託した。

 私たちも単に歯を食いしばって耐え忍ぶ、というのではなくて、ゴールはキリスト・イエスの日なのだ、耐え切れなかったら、叫んでいい、イエス・キリストが叫ばれたように。しかし、神を呼びつづける。破れで終わりではなく、キリスト・イエスの日に必ず完成する、私たちの望みは、そこにしかない。この一点は、私にとって譲れない、ということをしっかり受けとめておくこと、これが今日の福音です。

 (二〇〇〇年九月一〇日第二礼拝説教要旨)