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「自分の言葉で」

牧師 石川和夫

 「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」

        (使徒言行録二・七、八)

 「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

        (使徒言行録二・一一)

 今日は、キリスト教の三大祭りの一つ、聖霊降臨日、ペンテコステです。「ペンテコステ」というのは、本来、五〇日目を意味するギリシア語から来ています。それは、もともとユダヤ教の三大祭りの一つ、七週の祭りのギリシア語の呼び名でした。

 ユダヤ教の三大祭りのもう一つ、過越の祭りの安息日から五〇日目に当たるので、そう呼ばれました(レビ記二三・一五〜一六)。それは、過越の祭りから七週目に当たるので、七週の祭りとも呼ばれました(出エジプト記三四・二二、申命記一六・九,一〇)。

 ペンテコステは、ユダヤ教における」春の小麦の収穫の始まりに行われる農業上の祭りでした。さらに、後期のユダヤ教では、この日が、彼らの先祖がシナイ山でモーセを通して律法(十戒)を神から受けた時期に当たることから、律法を受けた記念の祭りともなっていました。

 ユダヤ教徒は、三大祭りには、必ずエルサレムの神殿に集まって礼拝することが義務付けられていました。過越の祭りが、だいたい四月中旬でありましたから、この祭りは六月初旬に当たり、旅行の最適期なので、世界中に散らばっていたユダヤ人がエルサレムに巡礼として集まって来ました。だから、神殿に人が溢れていたのです。

 ところが、使徒言行録には、注目すべきことが記されています。

 「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、」(二・五)

 この人たちは、この祭りを祝うために集まって来た数十万の巡礼者ではなく、もともとはディアスポラ(離散)のユダヤ人だったが、その時にはエルサレムに住んでいたユダヤ人のことです。言ってみれば、ブラジルから出稼ぎのために日本に移り住んだ日系ブラジル人や海外在住の帰国子女たちだったのでしょう。

 おそらく、母国語のヘブライ語にも堪能ではなく、生活習慣の違いでカルチャーショックに戸惑い、時には軽蔑され、差別されたりしていた人たちだと思われます。その人たちが

 「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」

「驚き怪しんだ」(七節)

のです。また、十二節には、

「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。」

と書いています。これは一体どういうことなのでしょうか。

 伝わる言葉で

 語っていたのは、使徒たちのようです。どうして語り出したかが、一節から四節に、ドラマティックに表現されています。

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、

彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、

一人一人の上にとどまった。

すると、一同は聖霊に満たされ、゛霊 ゛が語らせるままに、

ほかの国々の言葉で話しだした。」

 まず、使徒たちが「一つになって集まって」いました。これは単に同じところに集まっていた、というだけではなく、一つ心になっていた、ということです。一言で言えば、「赦された罪人同士」としての一体感です。誰一人例外なしにイエスを裏切りました。イエスの十字架の死を見て、そのイエスが自分達の罪を負ってくださり、自分達が赦されていることに気づきました。あのイエスの十字架の前では、誰が上で、誰が下なんてことは消え去っていました。これが教会の一致の原点なのです。信仰告白だとか、教会規則ではありません。「赦された罪人」の連帯感が教会の一致の原点です。イエスの十字架は、全人類の罪を負われたものですから、信仰を言い表していない教会の外の人たちとも同じ「赦された罪人」としての連帯感を持たなければなりません。イエスの十字架は、クリスチャンだけのものではないのです。

 そして、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とあります。この「舌」(グローッサイ)は「言葉」、「異言」とも訳されます。つまり、罪から赦された者は、もはや格好をつける必要がありませんから、人真似ではない、自分の言葉で語ることが出来るようになります。

 「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使途たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(六節)というのは、使途たちが「自分の言葉で」語り出したことが、人々の心に伝わった、ということなのではないでしょうか。

 罪を赦される、ということは、最終的な審判者である神が、私のあるがままを受け入れてくださっている、ということです。自分のあるがままを受け入れることが謙遜、ヒューミリティーということです。それがヒューマ、いわゆるユーモアとなります。ユーモアは単なる駄洒落ではありません。もう一人の自分が、自分の姿の滑稽さを笑うことです。心にゆとりがなければ出来ないことです。そのゆとりが、人をホッとさせるのです。そのことを可能にさせてくださるのが、聖霊なのです。

 同類だもんね

 太平洋戦争末期に、ほとんどの人たちがピリピリしていたのに、心のゆとりを失わなかった人のことを犬養道子さんが伝えています。

 「戦時中。広島からさして遠くない、冬は滅法寒い谷間の小さな町に、スペイン人であるという理由で収容所にはぶちこまれなかったものの、『敵である西洋の宗教』のしかも宣教師とあって、憲兵の訊問を受け、ささいなことをとりあげられては拷問めいた扱いさえたびたび受けた神父が、貧相な教会を守っていた。

 憲兵は毎日来た。大へんないばり方で、いじわるで。『名前は? どこの生まれ? 生年月日……』。指紋押捺も毎日させられた。神父は、そのおそろしい憲兵と自分とを、頭の中で一枚の絵にして眺めてみた。すると、大へんにこっけいな面が見えて来た。からかってやるなどとは全然べつの気持ちで、毎日の同じ憲兵の同じ訊問に、ある日こう答えた、『名前? きのうと同じ』。いきなり横ビンタが来た。大した力で、神父はよろめいて倒れたが、怒りもせず自分をあわれみもせず、にっこりして、『日本にはもう長い。でも、ここの地方に、名前を毎日変える習慣があるなんて知らなかった』。横ビンタが猛烈に来た。『ふざけるか、この野郎!』。『でも同じだもの……』。

 神父には『とてもおかしく思われた』のだ。どこでもかしこでもおびただしい人々が苦しみ、死に、戦って血を流しているのに、毎日来ては名を『しらべる』。それこそが」最重要の仕事であるかのように。そんなことを大まじめにする憲兵が、何か、いとおしいような気にもなっていた。

 幸いに、ビンタ憲兵はある日来なくなり、かわって新しい憲兵が来た。『名は? 生まれは? 指紋!……』。最初の日だから神父はにこにこして命令にしたがった。が、翌日、また来たとき、ビンタ憲兵に言ったのと同じに、『名前? きのうと同じ。生年月日もきのうと同じ。指紋も同じ』。

 新憲兵は瞬間、あっけにとられた。が、ふっとそれまでのかたい表情をゆるめるとこう言った、『そういえば、わたしだって。名はきのうと同じ』。じゃあ、と神父ははずんだ調子で、『あんたとわたしは同類だね。よかったね』。

 長い戦争が終って訊問もなくなったある日。教会の門を叩く者があった。出てみると、あの新しい方の憲兵が、当時の日本人同様の貧しく汚い服で立っていた。『おお、あなたか、よく来た。どうしているね?』

 憲兵はさみしく笑って、『名はきのうと同じ。でも、職は同じでなくなった。元憲兵と言ってみなにいじめられるんだよ、神父さん。進駐軍の裁判にも曳かれるかも。でも……あの日、同類だねと、あんなにいじめた憲兵の片われに呼びかけてくれた神父さんに会いたくて……友達がほしくてね……』。

 だって、と神父は元憲兵の肩をやさしく抱きしめて言った、『とっくにわれわれは友達なんだよ。同類という言葉には、友達の意味も兄弟の意味も入っていたんだよ。きのうと同じ。あの日と同じ。進駐軍にはわたしがとりなすよ。兄弟だもんね』。憲兵の眼から光るものが一条流れた。

 ヒューマアを含んだヒューマン・ストーリーである。」