2006/03/05 「イエスと一緒の試練」 マルコ 1:12〜15  (MP3)   
 レント(--春--)
 神の国の姿(--野獣も天使もイエス様に仕えている--)
 サタン(--告発者--現実的には"あなたの為ですよと言って近づいてくる誘惑者"--神との関係を切り崩す--)
 八木重吉(--苦難を喜びに変える--イエス様とのつながりが濃厚--"病気していろいろ自分の体が不安でたまらなくなるとどうしても恐ろしくて寝付かれない。しかし、しまいにはキリストが枕元に立ってじっと私を見ていてくださると思うたのでそっと落ち着いて眠りについた"--キリストはゲッセマネの園で血をたぐらせるように祈った。できるなら死を離したまえと祈った。しかも、それは少しも自分の為でなく、人の為にもっと生きたいと思ったのだ。こう信ずるだけで私の血がきれいになる--キリストが目の前に現れたらすぐにくっついてゆきます--) 

2006/03/12 「身近だから気がつかない」 マルコ 3:20〜27  (MP3)   
 家族(--どんな人であっても完全に子供を理解することはできない--)
 岡田 惠和"おかだ よしかず"(--脚本家--あけぼの「いま、親の務めは」--大人もかつて子供だったはずなのにいつの間にか子供の気持ちがわからなくなってしまう。いつの時代も親は子育てに迷うのでしょうか、基本的には--今の時代親と子の断層は未曽有のものか--まるで地雷原の中を歩いているようなものです、どこに地雷があるのかわからない。ネット社会によって知らなくてもいい闇に子供たちは直面する--干渉する、口を出す、チェックをする、そうでもしないと今親として義務を果たせない--悲しい現実だけどわたしはそんな風に思っています--子供に嫌われようと、それが親の務めだ--)
 鈴木 浩(--プロデューサー&ディレクタ--- 「心のともしび」--あけぼの「いま、親の務めは」--子供と友達のような威厳のない父親、子供を叱ることができない頼りない父親、そんな話を聞くと耳が痛い--私も威厳のない頼りない父親の一人だからだ--娘が自分の進路について悩んだ時期に末期がんの母の介護に夢中になり、妻子の寂しさを顧みなかった。母の介護と仕事をすべてに優先させた父は娘の目にどう映っていたのだろう--"成人式を迎えたとき"二十歳おめでとう自分の人生のシナリオを自分で書くときだね--娘は父親そっくりと言われるのは苦手なようだ。ダメおやじを見てこれではいけないと思ったのだろう。堅実な娘に育った。ダメおやじは反面教師だった--"奥さんの言葉"「娘はあなたそっくりね」--ダメおやじは冬の日本海を見ながら旅する娘の姿を想像して、ダメおやじはダメおやじなりに効用があることを思い、ちょっぴり幸せな気分に浸った--)
 ダメな親(--完全だと思い込む親--子供の逃げ場がない--) 

2006/03/26 「特権と義務」 マルコ 9:2〜10  (MP3)   
 石川牧師退任説教(--新しい出発--礼拝の改革--礼拝を目的としなしで手段とする”--讃美歌付き付き講演会ではない”牧師が主役ではない”礼拝への参加が大事である”式文礼拝でリズムができる”--前任牧師が礼拝に参加できる教会--)
 礼拝(--神と出会いイエスと出会うところ--礼拝は手段であると思う--)
 従来の教会が犯した間違い(--教会生活を目的にした”すべてのバロメーターが礼拝どれくらい出席しているかがいい信者と評価された--”自己目的化した教会となる”--)
 派遣された教会(--福音”-苦しみと解放--死と復活--”を理解したものは人に仕え続けるものとなる--)  ユルゲン・モルトマン(--ドイツの神学者--私たちのうち誰も世界から離れて救われることはできません--けれども私たちは皆この世界の為に選ばれているのです--)
 晴佐久神父(--「聖なるなんでもあり」”説教”--司祭館の会報”青年のお茶の間に開放”--これまでこうじゃなければいけないよということを打ち壊さない限り神の業は進展しないよ--油を塗”塗油”られた老婦人の話”自分はキリストのものでまだ使命があると確信し元気が出た--歩けるようになったら御聖体”キリストの体”をもって病人のところを訪ねて回りたい”--)


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