ハイデッガ(--実存主義哲学者--「人間は生まれた直後から、死(終わり)へと定められた命を生きている。」--「しかし、あなたは視点を逆転して、終わり(死)から今を生きなさい」--)
アドベント(--近づいてくる--おいでになる--終わりから、今を見直す--)
再臨(--信じていない人は地獄へ行きますよ、信じた人は極楽へ行きますよと。私はそれを脅迫宗教と呼びます--)
因果応報(-- 悪い結果があるのは悪い原因がある--キリスト教では、因果応報の考え方をいたしません--) 富岡幸一郎先生(-- 関東学院大学教授--「聖書をひらく」、編(あむ)書房-- 信仰は、現在から未来をみるのではなく、救われるという確信の将来から現在を見るということです。現在から暗中模索して将来を問い尋ねるのではなくて、将来から現在を見る。これは因果応報論の反対です。「過去にこういうことがあったから、』自分はこうなった」「こういうことをしたら、きっと将来こうなってしまう」と、どうしても人間は因果応報論に入りやすいのです。あるいは、自分はこんなによいことをしたから、将来きっと報われるだろうと日常的に考えます。キリスト教徒にもそれはあると思うのです。………これはほんとうは間違っています。パウロが言うように、将来の視点から現在を見たときには、すべての形の因果応報論から自由にされ、解き放たれるのです。やはり、「将来の栄光」という中に信仰の姿がはっきり映し出されています --)
究極の平和(--主は、必ず、救いを完成される方です。終わりのときに、必ず平和が作られる--本当の希望を持ったときに、人は生きることが出来るのです--決して絶望しないで、小さなことを一生懸命に、忠実に実行--)
ヘンリ・ナウエン(--「静まりから生まれるもの」−信仰生活についての三つの霊想−あめんどう社--血液の癌である白血病に冒されていると分かって、将来の可能性が突然断たれた一人の中年男性がいました。彼のすべての計画は崩れてしまい、すべてのことが変わらざるを得なくなりました。しかし、「わたしはなぜ、こんな目にあわなければならないのか。いったいどんな悪いことをしたので、こんな運命に会うのだろうか」と問うことが少しずつなくなり、その代わりに、「このことの中に、どんな約束が隠されているだろうか」という問いが心の中に生まれてきました-- 彼の反発する気持ちがこの問いに変わったとき、自分が他の癌患者を力づけ、希望を与えることができるようになったことを彼が感じました。また、自分の状態を直視することによって、彼自身の痛みや苦しみを、他者を癒す力の源にすることができたのです。この人は今もなお、多くの司祭や牧師ができることよりはるかに大きなことを、病に苦しむ人たちにしています。そればかりか、それまではまったく知らなかった深い意味で、自分自身の命を再発見したのです)
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