自由の砦としての教会(--奴隷のように見えても、それが自由!--もう心配が無くなった、「ハレルヤ!、目出度い!、目出度い!」と有頂天になっているのではなくて、心配がありつつ、なお「ハレルヤ!」と言える、その自由が、教会なのです--)
真理(--隠されていたものがあらわにされる--イエス キリスト--)
J.Sスチュアート (--エジンバラ大学新約学の教授--「事実はこうなります。キリストの外側に自由があるかのように見えますが、実はその自由らしきものは束縛なのです。」--「他方、キリストと共にいるのは束縛のように見えますがそれこそが実は自由なのです。」--「あらゆる種類の気まぐれな欲望を一つのはっきりした目標に集約し、調和のとれた人格となる自由、神や人々に隠さなければならないものは何一つなく、光の中を歩む自由、奉仕を喜ぶこととあなたの人生が神と人々の役に立っていることを知る自由なのです。」--「束縛されている奴隷と栄光ある自由、これがキリスト教の根本的な逆説なのです。」(J・S・ステューワート説教集「永遠の王者」、日本基督教団出版局、1981年2月18日、初版、113頁--114頁--)
束縛(--どのみち、私たちは、何かに束縛されて生きざるを得ないのだとすると、徹底してキリストの奴隷になりきりましょう。--)
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