2004/09/05 「命の光を持つ」 ヨハネ 8:12〜20  (MP3)   
 正義と正義がぶつかるとき(--神の名を使って果てしなく争いが続く--)
 世の光(--ヨハネ福音書--イエスを信じるものは光の中にいる--イエスを信じないあのかたくなな人たちは闇の中にいる。何とかしてイエスの光の下に来てほしいという願いがある”二元論的なニュアンスはない”--)
 時間(--闇の中にいる人”過去の中で今をとらえ、自分を正当化する”--光の中にいる人は”いつでも今を大事にしている”--)
 大貫 隆(--「隙間だらけの聖書」--イエスの十字架は今の私にとっての出来事だ。再びおいでになるイエスは将来のことではなく今のことだ--)
 小川 義綏(おがわ よしやす--日本最初の牧師--比留間七重郎”むやみに権威に従うな”の元で伝道した--)
 キリストと同じ時を生きている(--これからどうなるかを心配しない--)

2004/09/12 「自由のとりで」 ヨハネ 8:31〜47  (MP3)   
 自由の砦としての教会(--奴隷のように見えても、それが自由!--もう心配が無くなった、「ハレルヤ!、目出度い!、目出度い!」と有頂天になっているのではなくて、心配がありつつ、なお「ハレルヤ!」と言える、その自由が、教会なのです--)
 真理(--隠されていたものがあらわにされる--イエス キリスト--) 
 J.Sスチュアート (--エジンバラ大学新約学の教授--「事実はこうなります。キリストの外側に自由があるかのように見えますが、実はその自由らしきものは束縛なのです。」--「他方、キリストと共にいるのは束縛のように見えますがそれこそが実は自由なのです。」--「あらゆる種類の気まぐれな欲望を一つのはっきりした目標に集約し、調和のとれた人格となる自由、神や人々に隠さなければならないものは何一つなく、光の中を歩む自由、奉仕を喜ぶこととあなたの人生が神と人々の役に立っていることを知る自由なのです。」--「束縛されている奴隷と栄光ある自由、これがキリスト教の根本的な逆説なのです。」(J・S・ステューワート説教集「永遠の王者」、日本基督教団出版局、1981年2月18日、初版、113頁--114頁--)
 束縛(--どのみち、私たちは、何かに束縛されて生きざるを得ないのだとすると、徹底してキリストの奴隷になりきりましょう。--)
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