2004/07/04 「自分で聞いて」 ヨハネ 4:27〜42  (MP3)   
 サマリアの女とイエスの対話(絶交状態であるユダヤ人としてのイエスとサマリアの女とが、イエスの大変謙虚な語りかけから、会話が始まり、次第に彼女が、自分の過去を言い当てられながら、自由になっていくのです)
  私のことを何もかも言い当てた人がいます(--村の人たちはイエスのところに会いに行く--自分たちのところにとどまるようにと頼んだ--わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かった--) 
 自分で聞いてと(--イエスとの経験を耳で聞いただけではなく、イエスと一緒にいる経験をしたことを通して、信じた--)
 たくさんの愛をありがとう(--夫の達郎さんを脳腫瘍の病気で天に送る--あなたならどうでしょうか。働き盛りの43才になったばかりの夫が悪性の脳腫瘍になり、右半身麻痺となり、失語症が進む。子どもたちは、まだ中学生や小学生。夫の症状は徐々に進んでいく、夫の両親との摩擦や不和は広がる。私はこの間に母親を亡くしています。仕事を持ちながらの在宅看護は、ヘルパーさんたちの費用も大きな負担です。夜は数時間毎にトイレに行く夫の介助をしなければなりません。子どもたちの進学、治療決定など重要な判断が、あなた一人の手にかかってきます。一方、夫の命は、数ヶ月単位だと言われます。あなただったら、神様が「もう一度この人生を送りなさい」と言ったら、進んで「はい」と言えますか。--平野美津子「たくさんの愛をありがとう」、日本基督教団出版局、2003年5月20日、初版、123-124頁--我が家の子どもたちも、心身共に、確実に豊かに成長しています。まじめに人生を考えようとしています。私は、職場に恵まれ、同僚たちの理解の中、ホスピス看護スタッフたちの暖かな眼差しの中で、仕事を続けながら夫の介護をすることができました。ホスピスでの日々の中、私は、人の支えと励まし、そして慰めや祈りを、穏やかな気持ちで受け入れ、感じることができるようになってきたようです。とどのつまり、そんな悪い人生ではなかったのではないでしょうか。神様から、「もう一度この人生を送りなさい」と言われたら、「喜んで」とは義理でも言えませんが、「まあいいか」くらいには、答えられそうな気がします。前掲書126-127頁--病気が分かったとき、一番しんどいときに教会で「試練に耐えてください」とか、「あなたのために祈っていますよ」と言われました。それを聞くと、とてもいらいらしました。祈れないでいる自分に、「祈っていますよ」と言う人がいます。そしたら、祈れない自分が、よけいに惨めになります。そのような時には、むしろ言葉が無くてもいい、後ろで、そっと触れてくれればいい。無言のタッチが、すばらしい愛を伝えます--)
イエスの愛を感じ取る(--日々の暮らしと礼拝とが循環することによって、日々の暮らしの中、礼拝で与えられた豊かさが、ほんとに豊かだというように変えられてゆく。この経験をしないで教会は教会、普段の暮らしは暮らし、これでは、本当に恵まれる、ということはありえないでしょう--)
 詳しくはここをご覧ください

「分類キーワード(愛)」

2004/07/11 「言葉が生かす」 ヨハネ 4:43〜54  (MP3)   
 大貫 隆(--聖書学者--新約聖書学--ロゴスと言う言葉は聖書に一度しか登場していない--ヨハネ福音書のテーマ”神の言葉がなさしめた事件”--) 
 キリスト教のポイント(--神様がなさることを受け入れていく--)
 言葉を信じる(--イエスがおっしゃったことはそのまま実現する--出来事が起こってから信じるのではなく、言葉があったときに信じる--)
 藤木正三(--子どもの信仰”そのままを信じる”--サマリアの女”助けてくださいとの一念だけ、これが信仰の道理”--)

2004/07/18 「死から命へ」 ヨハネ 5:19〜36  (MP3)   
 アーメン(--真実に--)
 ヨハネによる福音書が一番主張したいところ(--イエスこそ真の神の子--イエスは神が人となられた方--信じた者は今命の中にある--)
 大貫 隆(--婦人の友--ライノルド・ボデーネック”学生でガンになり死亡した”--見舞いに行ったユミという友人ががん告知を受けた彼に何と言ったらいいのか迷ったら彼がユミのことを「つらかったでしょう」と気遣った--彼の祈り”僕はガンにかかっているかいないか、それはたいしたことじゃない、神の計画だけが大事なのだ。僕は生きられるにしても、死ぬことになるにしても神のみむねにまかせるだけ、主よあ「なたを愛する」、書きたいのはそれだけです。僕の祈りはいつもあなたに従いたいと願っています。今こそどうぞその意思を実現させるためにどうか僕を助けてください、ただ主よ僕の家族と友人のために願っています。僕のために苦しんでいる彼らの思いを取り除いてください、しかし今あなたは僕が期待するものよりもっと偉大なことを表されました。それは主よあなたご自身が私のもとに来られたからです。それはまさにあなただけ、ただあなただけ、他のものはもう何もいらない、あなただけ”--)

2004/07/25 「わたしだ」 ヨハネ 6:16〜21  (MP3)   
 隅谷三喜男(--日本プロテスタント史研究--二階建ての生活--現実離れした世界--懺悔が足りない--一階は散らされた教会”普段の生活の場”、二階は集められた教会”聖日礼拝”--これを巧みに使い分けている。教会に人気がなくなる原因の一つだ--)
 嵐の海の中にいる神様(--弟子たちは神様と一緒に航海に出なかった--神様のほうから近づいてくる--) 
 I am(--左近淑先生訳”私がいるのだ、確かにいるのだ”--) 


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