アガペーとフィレイン(--3回繰り返される--「アガパオ」”神の愛、アガペー”--肉親の愛「フィレイン」--)
ペトロ(--人間愛で、一所懸命最善を尽くしたことをイエス様、あなたはご存知でしょう、と言いたいところでしょう--彼の心の中はどきどきしていました。イエス様が十字架にかけられる前に、彼は三度、「あの人は知りません」と強く否定しました。三回も裏切った。それが非常に気にかかっていました--)
島崎光正”詩人”(「自主決定にあらずして」--たまわった いのちの泉の重さを みんな湛えている--生まれたときから脊椎損傷--友だちに馬鹿にされ、しかも、お母さんを三歳のときに失うということで、愛情にも恵まれないで、いろいろな不遇を経験された--)
藤木正三牧師(「神の指が動く」(ダビデ社)--「自主決定にあらずして」、身体的不自由さ、生い立ちの不遇さ、泣こうが喚こうが、どうにもならぬわが身に降りかかった不条理、この自主決定にあらざるものを、怒り、嘆き、呪う、孤独な迷いの中を通り抜けて、「たまわった」と島崎さんが受け止められるに至るまでの心の旅路の長さ。 このことを思ったときに深く感動した。自分では呪いたくなった、こんなものいやだと何度でも思いながら、それが実は、「たまわった」、神様からいただいた命の泉なんだと受け止めなおす。その大きさ、しかも、そういう命の泉は、ここに参加しているすべての人に賜っている、いただいているのだ、みんなが持っているぞと--)
神はどこへ導かれるのか?(--こういうことさえ無ければとか、わたしがもうちょっとこうだったらとかは誰もが思うことです。だけど、それは神様から賜った命の泉なんだぞ、それは重いぞ、そのように受け止めなおそうということなのです。そのときにこそ、本当の自由があります。これさえなければと思っている間は、自由がありません。豊かさに入ることはできません--)
鈴木秀子”聖心会シスター”(「神は人を何処へ導くのか」三笠書房--神はあなたを、あなたのいる場所へ導いています。いま、あなたのおかれた場で、あなたは、かけがえのない存在として、目に見える世界を突き抜けて、真の現実を見、真の人間性を発揮するように導かれているのです--)
これからどういうふうになるのだろうか(--神様はどこへ導こうとしているのだろうかと考えるときに、どこへじゃないよ、今あなたのいるところ、そこに導いているのですよ。今あなたの置かれた場で、あなたはかけがえの無い存在として目に見える世界を突き抜けて、真の現実を見、真の人間性を発揮するように導かれているのですよ。今自分の置かれているところ、それは主が、神様が、導いてくださっておられるところ、だからそれをもう一度受け止めなおす、それが信仰なのですよと--今、置かれているところ、そこが命の泉なのだ。その大きさをしっかり捕らえなおして見なさい、それが福音なのだ--)
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