2004/03/07 「ただ一つ知っていること」 ヨハネ 9:13〜41  (MP3)   
 因果応報(--幼児期の教え--)
 生まれつきの障碍は誰のせいだ(--誰の罪でもない--)
見えなかった自分が見えるようになった(--自律している--)
 新垣 勉”あらがき つとむ”(--沖縄県出身のテノール歌手、バプティスト教会牧師--両親と自分を全盲にした助産婦を恨む--讃美歌を聞こうとして教会に通いだした。牧師にアメリカに行った親を殺し、助産婦も殺したいと打ち明けた。このとき自分のために泣いてくれる牧師に気づかされ洗礼を受けるようになった--神学校に入り牧師になる決心をしたとき音楽を捨てる決心もした--聖歌隊の指導者から”あなたのその声を神様にささげなさいといわれた”--巡回音楽伝道師となった--メッセージのポイントは”人を押しのけるナンバーワンの人生を目指すのでなく、あなただけにしか生きられないオンリーワンの人生を生きよ”--)

「分類キーワード(信仰)」

2004/03/14 「拒絶と信従」 ヨハネ 6:60〜71  (MP3)   
 裏切り(--イエス様は誰が裏切るかをわかっていた--ユダのことをわかって受け止めていた”私たちも時には裏切ることをわかっていて受け止めてくださっている”--)
 拒絶と信従(--私たちにはこの両面がある--)
 遠藤周作(--「沈黙」--自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、もっとも清らかと信じたもの、最も人間の理想と夢に満たされたものを踏むために、足を上げた”このとき踏み絵のキリストが語りかけた”「踏むがいい、お前の足の痛さをこのわたしが一番良く知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためこの世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」--あの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた--)

2004/03/21 「死の備え、だいじょうぶ」 サムエル記上 9:27 10:1,6〜7  (MP3)   
 ナルド(--サンスクリット語のナラダ”女郎花オミナエシ”からきている--)
 油を注ぐ(--神に変わって職につく、たとえば王などに油を注ぐ--葬りの準備をするという意味もある--)
 足に油を注ぐ(--マリヤの謙遜さを示す--今ここにいる主に対して何をなすべきかを示している”イエス様を慰めた”--)
 私たちも油を注がれたもの(--メシヤの役割を持つものである--神様から「私に代わってよろしく頼むぞ」といわれている--もうあなたにとって死は問題じゃないよ、死の備えとして油を注がれている--)
 八木重吉(--詩「キリスト」--彼は手を上げ一つの帳を掲げてくれる 私は安心して行きさえすればいいのだ--キリストが私を救ってくださる いま、死んでも天国にいける 私は値なくして救われたのだ 私もすべての人を無条件で許そう--)

2004/03/28 「栄光の保証」 ヨハネ 12:20〜36  (MP3)   
 栄光(--神に属する言葉--終末のときに神が神であることがわかり、神のみ姿が栄光に満ちているというところからきている--現代の人間はこのことに気づいていない”戦いが起こる”--)
 思い込みからの自由 
ダグ・ハマーショルド(--国連事務総長--「道しるべ」--信仰とは神と魂の合一である--神は魂を通じて全能を発揮したもうという確信もなくてはならない”自分の思いこうなったらいいなとか、こうしてほしいという自分本来の願いが実現することではなく、神の思いが実現することである”--この道は敗北である勝利にも、また勝利である敗北にも通じているのだということ、さらに生の努力を傾注するために支払うへき代価は罵声を浴びることである--勇気という言葉はその意味を失ってしまった--十字架上で彼が発した一つ一つの言葉についても同じことが言えるのだ--”危険を予感しつつ、過ぎ去った事柄については、後悔したり、恨みがましく思ったりしないで、万事を益としてくださる神に委ねて、すべて感謝する。これから起ころうとすることは、どんなことでもOK”--)詳しくはこちらをご覧ください 


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