晴佐久昌英神父(--説教「ちゃんと浮世離れしましょう」--「イエスさまと心を一つにして、はっきり皆さんに申し上げます。『みなさんは決して死にません』」私たちは世間から見れば、大変浮世離れしたことをしている。見えない神様を見えると言い、どうだかよく分からないイエスさまが、人となった神様だと言い、そして、ここにイエスさまがおられると信じて、ハレルヤと言っている」--)
説教(--プロテスタントの牧師の説教”道徳、倫理になるから、どこか窮屈になります”--信仰が証しされる、信じるということに勇気づけられる--天国にいる自分に気づかせられる--)
自由(--罪の奴隷から贖われる--足が地に着いた生き方をする事--)
ハッピーエンドでなくても(--ボンヘッファー牧師の説教集--私たちのいのちは、必ず死ななきゃならないのですが、神さまは、死だけでなく、命をも与えてくださっている。そして、究極の帰るべきところを用意してくださっている。だから、人間的に言うと、死というのは恐ろしい、イヤなことになるけれども、必ずしもそうではないよ、ということを子どもに向けて話した内容”第一次世界大戦で、ドイツの兵隊さんが二人、フランスの戦線で、ある冬の日、重傷を負って地面に横たわっていました。一人は、五〇歳がらみのわりと年をとった兵士。もう一人は、二十歳そこそこの若い兵士です。この二人は親子でした--お父さんは、息子の事を心配して「大丈夫か、大丈夫か」と励ましていました。息子もしっかりしていて、「大丈夫、お父さん、心配しなくっていいよ。 神さまが一番いいようにして くださるから。どうしてもダメだったら、神さまの国に呼んでくださるだろうし。どっちにしても大丈夫だよ。」とお父さんに答えました。時間が経つにつれて、だんだん二人とも弱ってきました。息子が、「お父さん、聞える?どうも神様がぼくを呼びに来たみたいだ。だから、お母さんに急いで手紙書くよ。」-- 「ぼくが死んだと聞いても、泣かないで。ぼくが今、喜んでいるのと同じように、喜んでほしい。なぜって、今、ほくは、素晴らしい経験をして、神さまといっしょなのだから。」--二人とも亡くなって、国にいるお母さんにその知らせが届きます--大変悲しみました--息子さんからの手紙を渡されて、それを読んだ時に顔色が変わります。そして、こう祈りました。-- 「神さま、お許しください。自分勝手なことを言っていました。しかし、私の愛する夫と息子は、喜んであなたのもとへ行っています。今もみもとで喜んでいるのに、私が悲しむということはどういうことでしょう。」”--)
死は悲しいことです(--最終のゴールがはっきりしているときは、それは喜びになるのです--究極のHappy Endが約束されている--その典型が、イエスさまです--)
詳しくはここをご覧ください
「分類キーワード(不条理)」