シッツァー(--ウイットワース大学の宗教学と哲学の教授--彼が40歳のときに、道路で酔っ払い運転車に正面衝突されて、家族3人を一度に失った--「破滅的な喪失に直面する人にとって、この上ない挑戦といえば、一方では喪失の暗闇に直面することであり、他方では新しい生命力と他者への感謝を持って生きることを学ぶことである--喪失は、私たちを小さくするが、また大きくもする」--喪失は、私たちを造りかえる触媒として機能することができる。喪失は、私たちを神に導いてくれる。その唯一の神こそが、私たちに生命を与える意志と力をお持ちになっているのである--G・L・シッツァー「愛する人を失うとき」−暗闇からの生還ー、教文館、2002年6月15日、初版、236頁--)
愛する人を失うとき(--私たちはどうしてもその悲しみの方に気をとられてしまいます--もう一つの側面もあることを見失ってはなりません--)
滅ぼさない契約(--「ノアの箱舟物語」--水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない--)
辻哲子牧師(--静岡の草深教会--説教「老いを迎えるに当たって」--この世の価値あるもの、地位、人間関係、栄誉 "これに、さらに私,石川が付け加えるとすれば愛する人"はすべて過ぎ去る。しかし、そのことを分かっていながらも、しがみつき捨てきれずにいる私たちである。信仰者といえども、過ぎ去るものに執着しているのではないか--)
喪失(--過ぎ去るものに、目を留めるのではなく新しくされていることにも、目を留めなければなりません--悲しみと新しい祝福という二つの面があります。この二つの面に目を向けないと過去を引きずるしかなくなります--どのような意味があるのかということの詮索は、意味がないと思います。私をこうするために、愛する人が死んだのだ、身代わりになったのだとか解釈することで、納得できることではないのです--)
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