2002/11/03 「神の永遠の契約」 創世記 9:8〜17  (MP3)   
 シッツァー(--ウイットワース大学の宗教学と哲学の教授--彼が40歳のときに、道路で酔っ払い運転車に正面衝突されて、家族3人を一度に失った--「破滅的な喪失に直面する人にとって、この上ない挑戦といえば、一方では喪失の暗闇に直面することであり、他方では新しい生命力と他者への感謝を持って生きることを学ぶことである--喪失は、私たちを小さくするが、また大きくもする」--喪失は、私たちを造りかえる触媒として機能することができる。喪失は、私たちを神に導いてくれる。その唯一の神こそが、私たちに生命を与える意志と力をお持ちになっているのである--G・L・シッツァー「愛する人を失うとき」−暗闇からの生還ー、教文館、2002年6月15日、初版、236頁--)
 愛する人を失うとき(--私たちはどうしてもその悲しみの方に気をとられてしまいます--もう一つの側面もあることを見失ってはなりません--)
 滅ぼさない契約(--「ノアの箱舟物語」--水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない--)
 辻哲子牧師(--静岡の草深教会--説教「老いを迎えるに当たって」--この世の価値あるもの、地位、人間関係、栄誉 "これに、さらに私,石川が付け加えるとすれば愛する人"はすべて過ぎ去る。しかし、そのことを分かっていながらも、しがみつき捨てきれずにいる私たちである。信仰者といえども、過ぎ去るものに執着しているのではないか--)
 喪失(--過ぎ去るものに、目を留めるのではなく新しくされていることにも、目を留めなければなりません--悲しみと新しい祝福という二つの面があります。この二つの面に目を向けないと過去を引きずるしかなくなります--どのような意味があるのかということの詮索は、意味がないと思います。私をこうするために、愛する人が死んだのだ、身代わりになったのだとか解釈することで、納得できることではないのです--)
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「分類キーワード(不条理)」

2002/11/10 「神様が選んだ」 創世記 9:8〜17  (MP3)   
 旅人(--旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。寄留者を大切にする--人を愛することが神を愛すること--隣人を愛する--)
 施し(--天国へゆける資格ではない--天国とか極楽が救いの目的になっている宗教は、たとえ、キリスト教と名乗っていてもご利益宗教に過ぎなくなります)
救い(--無条件です。神さまは、どんな人も救っておられます。だから、感謝して、出来るだけ、人に仕えるのであって、人に仕えるのに、これでいい、という物指しはありません--)
 水野誠(--鶴川シオン幼稚園の園長--あるお母さんが子どもさんを幼稚園に入れることになりました--どの幼稚園の若い先生方がとても頼りなく見えたようです--子どもを預けられるいい幼稚園がどうしても見つからないんですが--どんなに立派な先生でも四歳の子どもたちの集団の代わりは出来ませんよ--幼稚園に入れるというのは、すてきな先生のところに預けるんだと思っていたけれども、そうじゃないですね。子どもの集団の中に入れるということですよね--水野先生のまとめの言葉--「集団保育ということの持っている意味、つまり子どもは先生が何かを教え込んで学ぶのではなくて、同じような成長過程をたどっている子どもの集団の中で遊んだり、けんかしたり、いじめられたり、助けられたり、いろんな経験をしながら、そこで学んでいくんだ、それが集団保育の持っている意味なんだ、それをまず考えておきたいと思うんですね。」--靴をとっておくという愛情は、どういう愛情でしょうか--あなたが初めて私のひざを離れて、自分の足で立った、その記念ですよ。親から独立して、自立して、自分の足で立ったことを喜ぶ愛情なんです。--水野誠「あなたの子どもは大人になれるかー保育の中の聖書―」、新教出版社、一九九九年一二月二八日)
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「分類キーワード(愛)」

2002/11/10 「神様が選んだ」 創世記 9:8〜17  (MP3)   
 旅人(--旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。寄留者を大切にする--人を愛することが神を愛すること--隣人を愛する--)
 施し(--天国へゆける資格ではない--天国とか極楽が救いの目的になっている宗教は、たとえ、キリスト教と名乗っていてもご利益宗教に過ぎなくなります)
救い(--無条件です。神さまは、どんな人も救っておられます。だから、感謝して、出来るだけ、人に仕えるのであって、人に仕えるのに、これでいい、という物指しはありません--)
 水野誠(--鶴川シオン幼稚園の園長--あるお母さんが子どもさんを幼稚園に入れることになりました--どの幼稚園の若い先生方がとても頼りなく見えたようです--子どもを預けられるいい幼稚園がどうしても見つからないんですが--どんなに立派な先生でも四歳の子どもたちの集団の代わりは出来ませんよ--幼稚園に入れるというのは、すてきな先生のところに預けるんだと思っていたけれども、そうじゃないですね。子どもの集団の中に入れるということですよね--水野先生のまとめの言葉--「集団保育ということの持っている意味、つまり子どもは先生が何かを教え込んで学ぶのではなくて、同じような成長過程をたどっている子どもの集団の中で遊んだり、けんかしたり、いじめられたり、助けられたり、いろんな経験をしながら、そこで学んでいくんだ、それが集団保育の持っている意味なんだ、それをまず考えておきたいと思うんですね。」--靴をとっておくという愛情は、どういう愛情でしょうか--あなたが初めて私のひざを離れて、自分の足で立った、その記念ですよ。親から独立して、自立して、自分の足で立ったことを喜ぶ愛情なんです。--水野誠「あなたの子どもは大人になれるかー保育の中の聖書―」、新教出版社、一九九九年一二月二八日)
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2002/11/24 「本当の王」 サムエル記下 5:1〜5  (MP3)   
 本当の王(--イエスキリスト--すべての人が生かされる王--)
 島松伝道所(--辻中徹也牧師”躁鬱の病を苦しむ”--病の度に僕がフィトしていくのではなく、教会が僕にフィトしてくる--自分の力にまかせてかたづけようとする世界にあらゆることを抱え込み意気阻喪し、立ち往生し、ひどい鬱に陥ってしまった--待っていたのは鬱の苦しみと薬の副作用と気になる事柄の山だった。山積みになった気がかりな山は微生物によって分解させるがごとく、つまり朽ち果て養分になるように、多くの応援に担われて解消していきつつある--従来の牧師観、信徒観が代わってきた--)
 ラザロ(--マリヤ、マルタが設けた宴席にイエスと共に座っていた--復活させられたあとのことがここだけに記載されている”そこにいるそれだけが大事なのだ、そこに意味がある”--)


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