2002/06/02 「癒しへの派遣」 使徒言行録 4:13〜31  (MP3)                 
重兼芳子・前島誠(「癒しは沈黙の中に」、春秋社、一九九〇年二月二五日、第一刷、「癒やしとはそもそもなんだろうか。人間の存在は肉体のみで成り立っているのではない。肉体と精神と心とで成り立っている。誰も近付こうとせず、誰からも愛されず、自らも死をのみ願っていた病人がイエスの愛に触れたとき、病人の全存在がイエスの光によって立ち上がった。生命力に充ち溢れ、死へ傾斜するのみだった人生の軸先が、生の方向へ転換し向け替えられたのである。 病んだ人間全体が生き返った、と見るべきだろう。--本当の意味で自分に絶望する、ということですが、これが意外にむつかしいのです。--その中途半端なところから、ひと思いに「自分は壊れて不完全な人間だ」と、神の前に心を開いてしまったらどうだろう。そう認めることは、かなり決心が必要だろうけれども、一度そう認めてしまうと、その後の人生がぐっと気楽になるのである--) 聖書で示されている癒しの業というのは、単に病気の箇所、怪我の箇所を治してあげるということにとどまらないで、その人が絶望的な生き方をしていたのを希望の生き方に変えられる、人間全体が生き返るということです 塩谷直也先生(梅が丘教会牧師、「土の器」「あけぼの」六月号--いずれにしても箱や器自体が高価になると、その本来の役目を果たせなくなる。パウロの言うように、土の器こそ、器としての役割を果たせるのだ。思えば、我が家の数ある皿の中で、一番活躍しているのは、プラスチック製「機関車トーマス」の絵が描いてある安皿だ。逆に高価な皿になればなるほど、もったいないなんて言ってしまい込んでいる--皿は高価になればなるほど、料理を盛られることを拒否し始め、己の絵柄を誇り始める。車も高価になればなるほど人を運ぶよりも、羨望の眼差しを向けられることに快感を感じ始める。人も同じ。立派になるほど自分の上にイエスを乗せる事を拒絶する。福音の器として、神の道具として使われることがバカらしくなる。だからパウロは念を押す。「土の器でいい。いや土の器、安皿であり続けることが重要なんだ。機関車トーマスの皿が、塩谷家の料理を最も多く運んだように、最も安い器こそイエスを、救いの喜びを世界の家庭に運んでいくんだ--)
 そうです。安い皿ほど使いやすい。いつでも代わりを買えます。私たちは、そういう「土の器」なのです。いつでも代わりがある。だけど、イエスはそのような器をこそ特に選んで、「よし、頼むよ」と言って用いてくださる。私たちの弱さと欠けを分かった上で用いてくださる、ということをしっかり受け止めなければなりません。詳細解説はここをご覧ください

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2002/06/16 「悪霊追放」 使徒言行録 16:16  (MP3)                 
主題(悪霊追放) パウロとシラス投獄される 悪霊(社会的不公正の行われている場所、現代の人権無視ねイエスはこれに立ち向かわれた) 最近の教団(人権無視に対する戦いがない、政治的なことを嫌う、イエスが批判されたユダヤ教と似てきた) 岩波ブックレット(「ハンセン病は終わっていない」--熊本--ハンセン病違憲問題--いまだに療養所を出られないでいる--その時政府が約束した検証会議すら作られていない--徹底的に検証すると国の過ちがわかってしまう) ハンセン氏病(私たちの中にも偏見がある--ある県は私たちの県はライの見えない県にしましょうというスローガンを掲げた--ライ患者を見えないところに隔離した--ライ患者が床屋に行くと実際には仕事しているのに”今日は休みだよ”と言われた--) 私を含めキリスト教は患者の手助けをしたが、根本的問題”人権が無視されている”に目をつぶった(隔離政策を一番強硬に進めたのもキリスト教だった--戦前からライは不治の病でなくなってていたのにもかかわらずに--半端な人はいらないということに対してキリスト教は何も言わなかった)

2002/06/23 「神の救いの計画」 使徒言行録 13:13〜14  (MP3)                 
ルカの歴史観(イスラエルの時=旧約聖書、キリストの時=ルカによる福音書、教会の時=使徒言行録) (私たちの歴史の主語を”神は”と変えることが信仰です、自分を主語にしたまま”神は”とすると単なる道徳観となります、道徳は人間中心となります ”神が私を”と気持ちを切り替えるのが礼拝です) 旧約は神が主語となる書である 松浦悟郎司教「イエスの遺言」(私はすでに世に勝っている、北条 時宗(ほうじょう ときむね)妻に詫びた遺言が17年間にわたるわだかまりを解いた、---今の世の動きは耐えがたくとてつもなく巨大な動きを感じます、しかし信仰を持っている者は世に勝っているというイエスの言葉に信頼を置き、--他者のために死に、自分のなすことを貫いたイエスの屈しない生き方を最後まで受け継ぐのです--平和に参与するのは私たちです---)

2002/06/30 「無条件の救い」 ガラテア 5:2〜11  (MP3)                 
ようすいらん禅師(曹洞宗--「名僧インタビュー」--釈尊が悟りを開いたとき我と大地有情と同時に情動せりという言葉を発した--人間は生まれたまま過不足なくそこにある--ところが人は足らん足らんばかりで生きている--) 律法(--命令形で解釈しないほうがいい--”私と契約しているものは**するはずがない”と神が信頼している言葉を使っている--) パウロ(--救いのための条件があると思っていた--イエスと出会ってからは神様はすべての人を条件なしに救ってくれると語るようになった--愛が働いて自由ンなったならば”よし、泥棒してやろう”という気持ちは起きないはずだ--) 長岡輝子(女優 「あけぼの」--日曜日11時ごろ起きてしまった”教会休んじゃうわ間に合わないもの”--聖書を毎日読んでいます--時々夕方になってしまうことがあります--思い出したときに読みます--読まないで寝てしまうことはないのよ--どうにかなるように神様がしてくださる--神様が差し出してくださることだけをしよう--) 神様は人が何と言おうと”お前はいいやつだよと”認めてくださっています


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