椎名麟三(--「悪魔の強情」--随筆--熱心なクリスチャンが某心理学研究所で最新型の嘘発見器にかけられます。「汝は神を信ずるや」、「汝は、キリストの復活を信ずるや」などと質問され、彼はもちろん「はい」と答えます。しかし、嘘発見器は彼の答に全て反応し、「この男は、嘘発見器によるテストの結果、神も復活も信ぜず、イエスと出会いたりしと申しおるも真っ赤ないつわりなることを証明す」ということになります。しかし、翌日、彼は同じ研究所で同じ質問をしてもらい、「私は神を信じません」などとすべてノーで答えます。するとやはり嘘発見器は反応し、信仰がないということもまた嘘であるということになります。あまりのことに嘘発見器が自分で分解して自殺してしまうという落ちがついています。--)
私は固く信じています(--という信仰が確かな信仰だとは言えない--)
G・リューデマン(--「イエスの復活」、日本基督教団出版局--「事実は、イエスは墓の中で朽ちて死んだのであって、生き返ったのではない、」--「しかし、復活の信仰が無ければ、我々の信仰はない」--)
復活(--「現象」を信じるのが大事なのではなく--自分の生き方の中にイエスが生きているか、どうかが大事なのだ--そうでなければ、UFOを信じるか、ということと同じレベルのことになってしまう--)
振り向く信仰」(--前向きに必死でイエスを探すのですが、見当たらない--マリアは、自分の後ろにイエスがおられるのに気付かなかった--)
藤木正三牧師(--「この光にふれたら」、日本基督教団出版局--「同じように後ろを振り向きながら、どうしてこういう違いが出てきたのでしょう。それは、一回目はマリアが後ろを振り向いてイエスを探したのに対し、二回目はイエスが声を掛けてマリアを振り向かせられたからです--マリアはイエスを求めていろいろと努力をしたのです。しかし、実はそういうマリアの後ろにイエスは既に立っておられました-- ですからその時、マリアは自分自身の思いや努力でイエスを求め続けてきたことの誤りに気付いたに違いありません。つまり、自分は生きているのではなくて、イエスの命に包まれて生かされていたのだと気付いたに違いありません。そして、マリアは『ラボニ』と言ったのです。ですから『ラボニ』は、この生かされているという被造感の告白に他なりません。そして後ろを振り向く必要が人生にあるのは、まさにこの被造感を告白するためなのです。それは、反省のためでもなければ、慎重を期するためでも決してないのです。わたしたちが被造物としての本来の在り方に帰るためなのです--復活のイエスは後ろから声を掛けてくださいました。その声に振り向いて私たちは被造物に復活するのです--)
入佐明美(--釜ヶ崎でケースワーカー--「聖書 心にひびく言葉」--婦人乃友--彼女は、今から二三年前にネパールで活躍された通称、ひげドクター、岩村昇先生の働きに大感激して、自分も岩村先生のお手伝いをしたいと申し出るのですが、日本の中にもネパールがあります。それは釜ヶ崎だと教えられ、一年間に約三百人の人たちが路上で死んでおり、十人にひとりが結核だということを知ります--彼女はおおいに意気込んで釜ヶ崎でケースワーカーの仕事を始めました。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ二五・四〇)という聖書の言葉を実践しようとします--張り切って仕事を進めていくうちに、自分自身、何も知らないし、わかっていないということが見えてきました。無力感にうちひしがれて、タイの神学校に入学します--『わたしはあなたを用いたい。しかし、あなたは偉すぎる』という内容のことばが、タイの神学校の入口にかかげてありました。私は背筋が寒くなってきました。このことばが私を待っているかのように感じました。それまで培ってきた信仰の土台が根本からゆすぶられてしまいました--頭では神さまの道具として用いてくださいと祈っていました。実際は自分の力に頼ってがんばっていたのです。若くて体力的にも自信がありましたので、病気になった人たちをたちなおらせたいという熱心な思いでかかわっていたことに気付きました。高い所から、『変りなさい』と命令し、相手に変ることを要求してやまなかった自分を発見しました。自分をみつめているうちに、もっとおそろしい心理が見えてきて身ぶるいしました。私は自分の夢を達成したいために、神さまを協力者と位置づけ、釜ヶ崎で生きている人たちを対象物としてあつかってきたのではなかろうかと、思いました。ひとりひとりの労働者をかけがえのない存在として受けとめていなかったのです--神さまは私の『主』であることを肝に銘じました。自分の都合のよいように神さまに求め続けてきたことを深く反省しました。神さまが一番望んでおられることは何であるかということを原点に立ちかえって考えました--タイから帰り、新しい気持ちで活動を進めました。不思議なことがおこってきました。労働者が以前より近寄ってきて話しかけてくれます--『ねえちゃん。元気か』『無理せんと、がんばりや』『わしの友だちが病気や。いっしょに行ってくれんか』-- 労働者とのかかわりが順調にいきます。労をねぎらうことばをかけてくれる人もあります。私は仕事が楽しくなってきました--本当に変らなければならなかったのは私だったのです--「私は釜ヶ崎に十四年います(九三年当時)。はじめのうちは病気の人が多いため私を必要としているから、釜ヶ崎に行って活動しようと考えていました。今日までのかかわりのなかで、多くのことを知らされ教えられました。つらいときも支えられました。実は私が釜ヶ崎を必要としているんだなあと気付きハッとしました--)
状況を変える(--私を変える--人を変えたいと思ったら、その前に私が変らなくてはいけません。そのことによって主が生きて働いてくださることが分かるでしょう--)
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