2002/02/24
「聖霊を冒涜するな」 マルコ 3:20〜27
(MP3)
プロテスタント教会は不自由だ(--プロテスタント教会からカトリックに移った人の話--説教が道徳的である--なになにすべき、なになにすべきではないという話が多い--信仰が道徳に留まっている--) 信仰は感性である(--見えないものを信じるのには感性が必要である--道徳は見えるがゆえに信じやすい--) 聖霊を冒涜するとは神の働きを認めないことだ(--見せ掛けだけの信仰--こんな私ではだめだと思うことも入る--) 藤木正三牧師(--学生時代から一般的な教義に自分を合わせていらだっていた自分がいた--私は私のままでよいと私自身を受け取る、これが神を信じることだと思ったとき心の中にあった無理がなくなった、客観的な正しさなど恐れる必要はない--自分の信仰に普遍性を求める必要などない--ただ、その主観性とと相対性をわきまえていればよい、その限度を自覚している限り、どのような信仰を持とうと自由である--あれでもよいこれでもよいと認めることだ--囚われのない広い世界を生きることなのだ--生きている教会とは雑然としたものが同居するのが教会だ--)
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