2001/10/07 「聖餐の四つの行為」 コリント1 11:26  (MP3)   
世界聖餐日 聖餐の四つの行為(--パンをとる”主人の行為”--感謝の祈りをささげる”主人の行為”--パンを裂く”奴隷としての行為”--パンを配る”奴隷としての行為”--主人であるとともに奴隷でもあるイエスの行為が基本--) 記念(--日本語には訳しにくい--昔々あったとさというのではなく今、現在も起こっているという意味--) 主が来られるまでこのことを告げ知らせるのです(--再臨の未来までの間は聖餐によって主の死を告げ知らせる--) ルードルフ・ボーレン(--神学者--聖餐式--確かな神の契約が今も生きている--こんな大事な聖餐式が毎週続けられない教会がある--祈り”神様あなたには赦しがあります。私たちを罪の劣等感中にいかさないでください。あなたには平和があります。私たちと諸民族を憎しみと戦いによって滅ぼさないでください。あなたには喜びがあります。私たちを不安と思い煩いの中に死なせないでください。あなたには光があります。あらゆるみだらなもの暗闇を私たちから取り去ってください。あなたが与えてくださる罪の赦しを持ってあなたの平和を、あなたの喜びを、あなたの光を、あなたご自身を与えてくださいます。ありがとうございました。”) 911の反省 説教内容の詳細はここをご覧ください。

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2001/10/28 「生み出す源泉」 創世記 2:4b〜9, 15〜25  (MP3)   
離婚(--男の助手として女が作られたのではない--向き合って助け合うものとして男と女を作られた--男のあばら骨から女が作られた”男が先という問題ではない。もともとは一体であることの意味である”--) 善悪の知識の木(--食べると死ぬ”創世記を書いた記者が素晴らしい人間感にもとずき人間の本質を見抜いて書いた神話”--人間だけが善悪を判断できる--これが実にマイナスに働くことが多い--宗教戦争はどちらも善悪の戦い、自分のほうこそ正しいのだとして”正義の戦いと称して人を殺す”--力のある者が勝つ”これが正論(正義)だと思い込む”--究極的には神様にしかわからない部分を人間が自分を主体になって決めてしまう--藤木正三先生が「正論と愛」とについて書かれている”どうでもよいことに意地を張るのです。正論とは道理は通っているが人間に届いていないせっかちさであり、道理は通っていないが人間に届いている緩やかさ、それを愛といいます”--正論は遠く愛に及ばないのです--) 愛を主張する者は正論に勝てない 信仰者が陥る過ち(--私たちは神様に従った。そのしるしとして洗礼を受けた。だから私のしようとしていることはいいことなのだという思い込みをしがちとなる--) 八木重吉(--「種をまくこと」失題詩集--神は厳しいというのか、神は近づきがたいというのか、いやいやそれも一つの愚かしさだ、芥子粒だけでもいい、蒔けよ、蒔けよ、できうることをまずなすがいい、蒔けよ、蒔けよ、小さい種を蒔けよ、神が育ててくれるのを信ぜよ--)


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