主題(主にある共同体) 一番最初にできた教会の姿(心も思いも一つにし--全てを共有していた) 完全に一致した集団はあり得るのだろうか(普通では想像できない--ルカは理想的な”旧約に書かれている--神が祝福されると貧しいものはいなくなる”という姿姿を表現したかった--一方で、パウロは貧しいエルサレム教会のために募金をしていた--貧しいクリスチャンたちもいた) 藤木正三牧師(--一致が同一を意味するのなら完全な一致というものはおそらく存在しえないでしょう--一致とは相違しているものが補完しあうことなのです--人は何によって一つになる--内側に共通の事実を自覚するまでは一つにはなれないでしょうか--罪を置いて共通の事実に出会えない--罪においてひとつ--) 石井錦一牧師(罪を受け止めることは最も強いことだ--自分自身との徹底的な戦いを抜きにしてわかることではない--強靭な精神力がある--震源的には不幸なことであっても愛と真実の神を信じた時その災いが逆転され私たちの祝福に変えられる--) キリストに招かれた罪びとたち同志(嫌いな人もキリストが招かれなければそこにはいない--キリストがその人を招かれている--このことが意識から薄らぐ裁きあいになる--) ジャンバニエ神父(ラルルシュ共同体「一つとなるために」--完全で優れているからでなく、イエスが私たちを一つに召し集めてくださることを信じるがゆえに--招かれて奉仕します--この時真に共同体が一つの体であることを知るでしょう--一人一人が共同体の一員--共に結ばれている--どの一人でもその共同体に居場所があり--ある人が他の人より優れているということがありません--すべての人に居場所がある--なぜならキリストが招いておられる--この事実の前には私たちが人を変えさせようとすることではなく、自分を変えていくということが先行してくるのではないでしょうか--)詳しくは
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