1999/11/07 「繁栄の契約なのに」 創世記 8:13〜22  (MP3)   
永眠者記念(神の懐にいる友と一緒に礼拝している) 讃美歌21(「花彩る春を」--思いうかぶのはこの友をつつんだ主の光--) 神は言われた(--もう二度と呪うことはしない”人をいちいち罰していたらきりがない”--) 死とは神の懐に帰ることだ カールバルト(--死は生の限界--神は死の限界”死をもってしても神に勝つことはできない”--神は死に勝ちたもう--) リーゼル(ナチス収容所から出ることが出来た人--ナチスは収容者が見守る中二人の男子を吊るした--若者の死との戦いは半時間も続いた--神はどこにいるのか--私の後ろのものが問うた--かなりの時間がたっても若者はまだ縄にぶら下がって苦しんでいたが、その時再び私はあの男が叫ぶのを聞いた--いま、神はどこにいるのか--そして私はひとつの声が私の中で答えるのを聞いたのである--神はどこだって、ここに彼はいる。神は絞首台のあそこにぶら下がって--”どんなに悲惨に見えるところにも神はいて下さる”--)

1999/11/21 「ここにいる神」 出エジプト記 3:1〜15  (MP3)   
西行法師(さいぎょうほうしというお坊さんが、伊勢神宮に参拝して、--何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる、とうたいました--”これは典型的な日本人の神観念を表しています。スタテックな神様、そこに行かなければ会えない神様です--) 聖書が示す神は歴史の中を歩む神です(聖書は道徳的なことばかりを薦めるものではありません。現代のキリスト教はこれを重視しているため道徳的に生きられない人がコンプレックスばかり感じるようになります) 左近淑牧師(--”I am--- とは確かに私がここにいる”--) 犬養美智子(「聖書を旅する」--”わたしは在るものをこのように訳している”--今後お前たちが体験する日々を通して少しずつ知ってゆくもの--”歴史に対する洞察力が信仰といってもいい”--) 愛とは歴史の受容(--自分の歴史を受容するとともに人の歴史も受容することです。人を折伏させることではありません。本当のユーモアが人を救うのです--) デーケン先生(--ユーモアは人をほっとさせる--自分が自分を笑うことができるゆとり--”これが人に伝わる”) 星野富弘(「あなたの手のひら」--あなたは私が考えていたような方ではなかった--あなたは私が思っていた方からは来なかった--私が願ったようにはしてはくれなかった--しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをしてくださっていた--)

1999/11/28 「実現しない希望」 イザヤ書 52:1〜10  (MP3)   
主題(主の来臨の希望 セカンドアドベント)  待つということは希望である チコの犬性(--待つ、留守番させられたらひたすら待つ--過ぎ去ったことを気にしていない--帰ってきたらうれしさ爆発である--一期一会を大事にしている”今に生きる”--変わらないもの確かなものをしっかり待つ--) 主がおいでになることを待つ(--マラナタ”主よ来てください”--) 愛の賛歌(--神はすべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える--待つということが愛--) 第二イザヤ(--40章から55章まで--捕囚の時代からエルサレム帰還を書いた--解放の喜びを語っている--しかし帰還後希望通りにならなかった--その後失望の時代となる--) 失敗の九割は待つことが出来なかったことによるのかもしれない


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