1999/11/21
「ここにいる神」 出エジプト記 3:1〜15
(MP3)
西行法師(さいぎょうほうしというお坊さんが、伊勢神宮に参拝して、--何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる、とうたいました--”これは典型的な日本人の神観念を表しています。スタテックな神様、そこに行かなければ会えない神様です--) 聖書が示す神は歴史の中を歩む神です(聖書は道徳的なことばかりを薦めるものではありません。現代のキリスト教はこれを重視しているため道徳的に生きられない人がコンプレックスばかり感じるようになります) 左近淑牧師(--”I am--- とは確かに私がここにいる”--) 犬養美智子(「聖書を旅する」--”わたしは在るものをこのように訳している”--今後お前たちが体験する日々を通して少しずつ知ってゆくもの--”歴史に対する洞察力が信仰といってもいい”--) 愛とは歴史の受容(--自分の歴史を受容するとともに人の歴史も受容することです。人を折伏させることではありません。本当のユーモアが人を救うのです--) デーケン先生(--ユーモアは人をほっとさせる--自分が自分を笑うことができるゆとり--”これが人に伝わる”) 星野富弘(「あなたの手のひら」--あなたは私が考えていたような方ではなかった--あなたは私が思っていた方からは来なかった--私が願ったようにはしてはくれなかった--しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをしてくださっていた--)