1999/10/24
「否定の中の肯定」 創世記 1:1〜3,24〜31a
(MP3)
創世記(--科学の事実を書いたものではない--書かれた時期はバビロン捕囚の頃--捕囚の民は発達した都市を見せつけられ、お前たちの神はどこにいるのかと罵られた--自分たちは根源に帰ろうといて信仰の告白として書かれた--全てを否定されている中で”混沌の中に光あれ”を信じた--) 関田寛雄牧師(せきた ひろお --神の評価でなく自己の評価を求め、神の肯定でなく、自己肯定を求め始めるとき、神は怒り裁きを持って世界に臨まれる--) 神は足りなさをよしとしている(パウロは弱さ”足りなさ”を誇ろうと言っている--自己否定の結果は神から遠く離れる--) 永山教会堂建築(--実力以上のことを求めているのか--土地購入の奇跡は神の業です--) 三浦綾子(「命ある限り」--旭川六条教会堂建築--これ以上の献金は捧げられないと考えていた時--絵を習っている、年に一度くらいしか教会に来ない画家にそのことをはなした--画家は教会堂建築は信仰ですから出来ますよと言われた--感動した--金を勘定する前に自分の信仰を顧みること--聖書の前にひざまずくことである--平安を与えられ、出版社に前借を持ちかけた”私たちに出来ることをして信じて待つ”--) 榎本栄治先生(敬和学園--北海道での会堂建築--新年礼拝で夢として語った--私は年金で暮らしていきますからと一千万円の献金があった--この人の兄に相談したら使わないでくれと言われたので”そうですか”と答えておいた--近くの大工さんに相談した--つぎからつぎに不思議なことが起こり会堂建築にこぎつけた--)