1999/08/01 「平和を創造するために」 ヨハネ1 1:5〜10  (MP3)   
ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer--神の平和に究極の平和をゆだねると同時にわれわれもまた確信をもって戦争を克服するために平和を創造すべきである--”平和を作り出す命がけの抵抗”--ヒトラー暗殺計画に参加したとして処刑された牧師--) ヨハネ教会の中に一度洗礼を受けた人はもう罪人でないとして勝手放題をしていた人たちが出てきた 増田 琴牧師(教団氏家教会「主日礼拝のためのメディティオン」--過去を想起することは現在のそして将来にわたって歩むべき行き方向を指し示す。行きなさいとの主の呼びかけは罪の許しが問題を消し去り忘れ去るためではなくそれを具体的に担ってゆこうとするありようへ方向転換する招きであることを告げている”光に歩むもの”--) 向谷地生良(心の病の人たち”浦河ベテルの家”--正しいことをしようとする人たちの正しさの激突はすざましい--正しさが乱立し不毛の争いが生じる--) 平和を求めて戦争をするこのおかしさ(正しいことを追求した結果起こる) 悪霊を追い出す権能を与えた(当時は病気”悪霊”の人が罪人として疎外された--この人たちを癒すことがだいじだった--現代の悪魔祓いではない--) 賀川豊彦牧師(生協の生みの親 結核の体で神戸の貧民くつで働かれた--当時五円で赤ちゃんの売り買いが行われていた--賀川は赤ちゃんを一人預かったが死んでしまった--この時の詩が「涙の二等分」です--”おいし”がないて目が覚めて--おむつを替えて乳といて--椅子にもたれて涙来る--男にあえて女になって--”おいし”を拾うて今夜で三晩--夜昼働いてひと時寝ると--”おいし”が起こす--とうとう”おいし”が彼の懐で冷たくなってしまった--”おいし”を抱いてキッスして、顔と顔をうちあわせ、私の顔から涙くみ”おいし”の顔になすくって、あれ”おいし”も泣いているよ、あれ、神様”おいし”も泣いています--) 泣きつつ自分も罪を担ってゆく

1999/08/08 「自分の満足?」 ローマ 14:13〜15:3  (MP3)   
主題(奉仕する教会) 旧約の世界(律法の規定によって処理されたもの以外は食べられない。これを守れない人は罪人とされる) 強くないもの(律法を守るこだわる人) 相田みつお(あんなにしてやったのに『のに』がつくと愚痴が出る) 考えないで感じたままというのが愛です 山田洋二監督(”いい親であることをやめなさい”) 自然にした愛は覚えがない 阪田 寛夫(さかた ひろお 雑誌「あけぼの」--”癒しについて”--詩--妻が路上で三度目の脳発作を起こしたとき踏切の向こうに中学生の孫たちがいた--鳥語を話すおばあちゃんを家まで送り届けてくれた--男の子が二人ベット脇に腰を下ろしうなだれていた--”回復した後”--妻は遠くの友に電話で報告して”なにがうれしかったってボソッと無口な兄弟がベットの下で泣いてんのよ”--記憶が切れていた間なのにと私は驚いた--) お前をそのように作ったのだ(ごめんなさいが増えるほど感じ方が上がってくる) 

1999/08/15 「初穂として」 テサロニケ1 2:13〜17  (MP3)   
三浦綾子 黒柳朝対談集(--女学校の頃岩見沢教会で受洗--三浦さん”自分をアマチュアのクリスチャンだと思う人は神様の言葉が新鮮に聞こえる人だと思います”--三浦さん”今日を生きたことのある人はいません”--黒柳さん”どんなに汚いかをお腹のチャックを開けてお見せしたいくらいです”--三浦さん”本当、私見てみたい、きっと綺麗だと思うわ”--) 救われるものの初穂(救われたものはいい状態でなければいけないと思われているが救いとは気づくことだと思う--気付くことを妨げるのがプライドとコンプレックスです”どちらも捉われている状態です”--今日のことも分からないのに明日のことを心配するな--ゆったりした時を持つことが必要--気づくことを助けるのが聖霊です--) ひろさちや”宗教評論家”(荒井献対談集「ひろさちやが読む新約聖書」--”トマスによる福音書”異端として福音書から外された--木を割りなさい、石を持ちあげなさい、私はそこにいる--”筋ジストロフィーの子供の教育現場での受け入れ”--このような子供たちがいるのだぞという教育の機会を奪っている--”妨げとなるから来ないでくださいではなくその子がいることによって生徒はとても大きな学習をする”--漫然と入学した生徒たちが生きるということを学ばされた--私たちはただ生きているだけでいい、そのままで尊いのです--) どんな人からも学ぶことができる 

1999/08/29 「世界の中での礼拝」 ヤコブ 4:11〜12  (MP3)   
主題(兄弟を受け入れる) 世界キリスト教情報サービス(パット ロバートソン”クリスチャン連合総裁”--暗殺が実用的な外交手段--テロリストの暗殺団を送り込むというとなにかマキャベリアンのように悪魔のように聞こえることはわかっている、しかし、--何十億ドルをかけて戦争し、罪のない人を殺し、国の基盤を破壊するよりも暗殺といったことの方がより良いのではないかと同氏は語った--)←これはイエス様を信じなさいという大きな伝道放送網を持った人が語ったことです(--ボンフェファーとは大きな違いがあります--国外にいて相手を裁く”自分を神と思っているのでないか”--自分たちがすることは神に変わって正しいことをするのだという思いに駆られている--中世の十字軍のような発想となる--) ヤコブの手紙(--律法を定め、裁きを行うかたはお一人だけです--隣人を裁くあなたは何者なのですか--) ひろさちや”宗教学者”(伸び縮みする物差し”自分には寛容、人には厳しくとなる”--物差しを捨てなさい”裁くな”--) 三浦綾子(「銃口」--坂部先生--遅刻した生徒”よしこ”への思いやり--”よしこ”は毎朝五時前には起きるのだ--働きに行くお母さんを手伝って、弁当を作って、病気のお父さんの顔を拭いて--納豆を売りに行く--売れると早くご飯を食べることができる--”よしこ”を責める生徒を前にして先生は泣いてしまった--ずるけて遅れると決め込む傲慢さがある--) (三浦さんは”礼拝時間厳守”のスローガンで困ってしまった--遅れたくて遅れているのではない--) スローガンを掲げることの傲慢さを吟味する必要がある


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