1999/07/25
「内側の力」 コリント2 10:1〜6
(MP3)
並木浩一先生(国際基督教大学 「人が孤独になるとき」--私がなぜ人格神の神様を信じるのか--死んだ後を頼むことが出来る方がいらっしゃる--許しと愛の完成”自分を本当に許して下さる方がいらっしゃる”--礼拝の喜び”罪を許され慰められる恵”--私たちが破れを繕うものとなるという望み”礼拝が終わったら派遣される”--)--島崎光正”筋ジストロフィーで若くして亡くなった詩人”の死を悼んで(--君の弱さの針はこの世の破れと痛みを繕い皮衣のように障害を編んだ--) 私たちの戦いの武器は肉のものではなく神に由来する力であって(弱さを受容できていないときにはこの力が働かない”パウロは私は弱いときに強いと言っている”) 神はご自身が生きて働くために私たちをあえて弱い立場に追いやられる(なぜこんな目に合わせられるのだと思う”この時こそ聖霊が働く”) 趙寿玉(ちょうすおく)さんの証(太平洋戦争のときキリスト教も賛成した神社参拝を拒否した人でもともと居た教会を追い出された 「福音と世界」--官憲に天皇はと聞かれたとき”私たちと同じ人間ですと答えた”--拷問のさなか殺してしまえとい声も聞こえ、とても怖かった--獄房の中で昨夜見た夢を思い出した”鞭打たれている自分にその鞭がとどかなかった”--神はこの警察官をも支配している、神が手綱を引き締めている限りは殺せないのだと思った--警察官の目をまともに見ることができるようになった--釈放された--) 柔和とは包容力がある優しさだ神に対して従順であって広さをもっている 弱さに徹底している時にこそ強い