1997/11/02 「死から生命へ」 創世記 4:1〜12  (MP3)                     
フェミニズム神学(男性中心を改め女性の立場から聖書を読む) カーター・ヘイワード(女性神学者 アメリカ Carter Heyward 神は人と人の関係において生きるもの) カインとアベル(カインは顔を伏せた”神との関係を絶った” アベルを正当化したかったのか”カインだって良いものをささげたのではないか” カインは兄だという思い上がりがあったのでは) マリヤエレーナ(人がすることはなんでもした 親が彼女を恥とはしなかった 「ハンディを光に変える家族の力」 植村 環牧師”どうして彼女は溌剌としているのだろうと思った。それは聖書の言葉だった” 両親は”この子をこのように作ったのは神様のみ心ではないだろう”と思った。”このように生まれたのだから必ず助けて下さるだろうと”信じた なぜを追求しない 両親は人と人として向き合っていた”顔を伏せない、目をそらさなかった” 誰でも人を助けることが出来なくなるほど小さくはない 存在が人を助ける”赤ちゃんは人を助けてあげていませんか”) 向き合おうとしない者は”死”に留まる

1997/11/16 「神の備えを見る」 創世記 22:1〜18  (MP3)                    
石川和夫牧師(同窓会の思い出) アブラハム(信仰の優等生”結果的にそうなった” 神との契約”日本人は不信感から 砂漠ではあなたは私と契約を結ぶことができるという信頼感 森 有正”もり ありまさ 哲学者 文学者” --人生は冒険”何が起こるかわからない”と方向”どちらに向かっているのか”--”フォン ラート 旧約聖書学者--ここを教えてとして読もうとしたら分からなくなる、出来事の報道である”) 信仰”理屈では割り切れない”が倫理的なものとなるとお互いの間に批判が起こる イサクを捧げる(神の備えを見る 摂理を信じる) 自己矛盾の神(試すものとの信頼関係がそうさせる) プジョフストスキ−神父(労働者社会のために働く 尊敬したカルビン神父の話を紹介”--貧しかった--方向”労働者のために”をしっかり見つけ出し冒険にかけた--)

1997/11/23 「無気力からの脱出」 出エジプト記 6:2〜8  (MP3)                
栗林輝夫(「日本民話の神学」 関西学院法学部教授 讃岐の民話研究”聖書が伝えようとしているメッセージと合っている”) お遍路おすぎとおたま(姉妹--母は後添え--おすぎにとっては継母--殿様は”おすぎ”を嫁に欲しいと言った--継母は身ごもっているおすぎの両手を切らせて家を追い出した--おすぎに子が生まれました--戻ってきた殿様はお杉はどこだと尋ねました--継母はおすぎを殺そうと思いました--おすぎの子は谷底に蹴落とされてしまいました--その時おすぎは”ああわたしに手があればなーと叫びました”誰か究極的なものにすがる”--すると弘法大師様が現れて両手を付けてくださいました--おすぎは谷底の木に引っ掛かっていたわが子を助けました--同じころ継母の両手が消えてしまいました--殿様はおすぎを探し出しました--継母はお遍路に出た) 民話(人の心を反映している 継母”母性の否定” 残酷な表現が多いことがある ここには深い内容が秘められている 両手を切られるとは関係を絶たれるということ) お遍路さん(関係を絶たれて追い出された人 着物は死に装束を表す”遍路の途中死んでしまうことがあった” 弘法大師の化身) 寄留の民(関係を絶たれた寄る辺のない者 奴隷となった者) 贖われたものは自分の足で立つ

1997/11/30 「主の腕を待つとき」 イザヤ 51:4〜11  (MP3)                
アドベント(来臨) 裁きの日(しいたげられた人のためにある しいたげた人たちが一度裁かれる) 信仰(何を目指して生きているのか 待ち望むものがなんだかわかっている人 義(神の約束に対する人間の真実と信頼によって回復される神との正しい関係)  熊井啓と遠藤順子さんの対談(遠藤周作のことは全ては神の計画の中にあった --最後の一年の間話すことが出来なかった--手を握ることによって会話をしていた--つながれている管をすべて外したとき光の中にいるような顔になった--言葉によっては気が付かなかったスキンシップがあった--)


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