お話の聞き方説明
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1996/12/01 「待ちつつ急ぎつつ」 イザヤ 52:1〜10  (MP3)                  
主題(主の来臨の希望 セカンドアドベント いつ来臨があってもいいように緊張感を持って待ちなさい) 石川牧師の愛犬”チコ”(神様の気持ちがわかる) 絶望の時期(第二イザヤ書 神様は死んだのか この時期に創世記が作られた 絶望的な状態で喜べ、祝え) 突っ張っていると神の声が聞こえない 医師になろうとした人の話(女性 結核菌の研究をしているうちに自分が感染した 森田悟由さんと出会った 自分の問題を訴えた 聴きおわった悟由さんは”あなたの話はそれだけかね、あなたの病気を私が何とかできると思っているのかね”て言った --がっかりした--救ってくれると思った--励ましの言葉を頂けると思った--なんと冷たいことか--私が死に迫られているのに--どうしたらいいのでしょう教えてください--聴きおわった悟由さんは”死ぬまでのことだね。あなた一人死んでもどうということはない”と言った--彼女は憤然とした--あの偉い先生がこんな言い方をする--よし、それならば死んでやれと思った--面当てしようと思った--断食して洞窟にこもって座禅をくんだ--そのうち健康を回復してしまった--願っているとおりに女医になれた--自分が何にとらわれていたかを知った--逃げようとしているから迷いが出た--) 今日お前のところに来るぞ(現実的な死、これを受け入れられたら逞しい 何が来てもぶつかってゆこう、でも恐ろしかったら退却してもいい、喚いてもいい、いいやその時はその時だ) 神の声は”ここにいる”と聞こえるときに主よ語りたまえとお話しする 老齢のための祈り(--頭だけでものを考えることから私しを守ってください、永遠の歌を歌う人間は骨の髄で考えるからです、--本音で祈ります--死期をしるときに愚者と思われることです--) 今ここに生きる

1996/12/15 「声をあげよ、恐れるな」 イザヤ 40:1〜11  (MP3)                 
石川牧師(北海道苫小牧開拓伝道時代 五年で一人前の教会が目標 製紙会社のストライキがあり労働組合が二つに分かれた 教会の会員が半減した いちからの出発  市川四郎牧師より”のびのび講座を勧められ”キリスト教入門講座を始めた) 左近淑先生(イザヤ書約) イザヤ書(絶望の時代に書かれた) 凱旋の道路を神とともに帰る ドミトリーセルゲビッチメレチコフスキー(詩”バルトが引用した” --急な斜面の突端やなにも生い茂るもののない高地に茂る草のようなものである--我々は弱いもの--地上からは見えない--風雨に吹きさらされ--しぼんでしまいそうである--すでに光の中に立っている--誰も見ていないものを見る--偉大な太陽を見る最初のものである--主よまことに来たりたまえと呼ぶ最初のものである)

1996/12/22 「幻が見える日」 イザヤ 11:1〜9  (MP3)                 
主題(告知) アドベント(アドベンティーレ 思いがけないことが自分たちの前に現れるのを待つ、それによって自分が変えられてゆく) 森 有正先生(もり ありまさ、日本の哲学者 アドベントの反対語は”自分のものにする、絶えず何かが足りないという思いに落ち込む、得たつもりでもいつも貧しい”) エッサイの切り株(ダビデ王朝が亡びる) 究極の平和を語ったイザヤの現実は暗黒の中にあえいでいる 大江健三郎が語った言葉(井伏鱒二(「黒い雨」、広島原爆の雨 --被爆者は縁談にも差し障りがあった--被爆した姪を幸せにしたかった--玉音放送のある日、広島のほうへ流れている川を見ていた--その川の中をウナギの子が泳いでいた--数限りなくのぼっていく--被ばくしたウナギの子は見つからなかった--死の世界が全てではないのだと悟った--今向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる--五彩の虹が出たら姪の病気が治るのだ--向こうの山に目を移してそう占った”大江健三郎さんは祈ったのだろうと思った”--) 自分ではどうにもならない現実に生きながら神の幻を見続ける

1996/12/24 「居場所のない者よ」 ルカ 2:1〜14  (MP3)                 
クリスマスの起源(--福音書においてはクリスマス降誕より十字架と復活が重要と思われていたので記事が少ない。ルカが書くころになって記憶の薄れたものをつづり合わせたので歴史的事実の正確さがない--人口調査の歴史的事実も根拠が少ない--クリスマスは暗い夜に起こった出来事として重要な意味がある--) いじめにあった人、自分の居場所がないものとしてイエスは生まれた マザーテレサ(--誰からも必要とされていない貧しさは一片のパンがないよりもつらい--) 一切れのパンを犬に分けてあげた貧しいおじいさんの話(--一切れのパンを分けてまず犬にあげた、犬が尾を振って喜ぶのを見て残りを自分が食べた--”微笑みあう大切さ”--我々にはそのような豊かな心があるのか--) 居場所のない人とともにいる姿勢

1996/12/29 「全世界が教会となる」 マタイ 2:1〜12  (MP3)                 
主題(東方の博士”占い師”たちがキリストを拝みに来た) 1996年の総括反省(O157 自己満足的な浄さ 教会会堂建設”私たちの在り方が問われている”) 守る姿勢は排除の姿勢になる マタイによる福音書の特徴(旧約聖書の実現 イエスは全世界の主であることを示したい 一番初めにクリスマスを祝ったのは異邦人”東方の博士”であった) 癒し(私の体”ハンセン氏病”をさすって下さった方はあなたが初めてです) 解放の神学 基礎共同体”CDE”(キム ヨン 僕は天国に行く準備をしたいので本が欲しいと言った知恵おくれの子との遭遇--この子に本が読めるはずないよね--この子は本をもらってニコニコしていた--特別扱いせず皆と同じように接した--教会はどのようにあったらよいか少しわかった--)  百瀬文晃神父(上智大学神学部教授「神の民としての教会の役割」--ミサは個人の安定剤でしかないのか--現実との更失--福音宣教の姿--洗礼を受けるかどうかは私たちが心配することではない--神にお任せすればよい--神の国の徴であり道具であること--存在の意義を認める--高い低いを決めることではない--最も小さくされた人のそばにあなたは立っていたのか--)


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