お話の聞き方説明
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1996/09/01 「排除と共存」 ヨハネ1 1:5〜10  (MP3)                  
主題(兄弟を受け入れる) 教師の友セミナー体験(別れが悲しいよと鳴く虫 自然との共存の体験)  子供の詩(--一本の木があなたの友達である場合があります--あなたは知っています木があなたを好きだということを--風は夜あなたのために静かな歌を歌います--あなたは友達に気付かないことがあります--自分に友達がないと思うとき--誰かが自分なりの仕方であなたに微笑みかけなかったかどうか--必ず一人の友達を持っています--) 石川牧師の若き日の苦い体験(排除の精神 汚いと思うものを排除する 妻子ある男性と同棲中の教会に来ている女の子に”このままだと教会から除籍するしかない”といった、二度と教会に来なくなった--先輩の牧師から怒られた--彼女の孤独とか、つらさを少しでも思いやったか--清さを追求するとき排除の論理に動かされる--) 藤木正三牧師(裁くな 忠告こそ偽善だ--人になにかを忠告している時には確実に自分が神の前にいるものというのを忘れている--神様がご覧になっているということを本当に知っていたら人のことをあれこれ言えるでしょうか--隣人を裁くあなたはいったい何者なのでしょうか--) モルトマン(ドイツの神学者 誰も自分の問題に一人で取り組まない、誰も自分の障碍を隠す必要がない、噂話する人がいない、--孤独にされない--休みが必要な時には休みを与えてあげることもできる--) のびのびした教会(外から来た人が感じ取ります) 噂話が広がるような教会に人はきたがるでしょうか 誰かがいつも私のために祈っている教会 吸い寄せられる交わりが出来る教会(私たち人間は受け入れられることを必要としているからです受け入れられることは人間性の空気なのです)

1996/09/29 「献金と献身」 ローマ 6:15〜23  (MP3)                  
主題(神の奴隷) 左近淑学長(さこんきよし 信仰の肯定”成功しなくとも良い” 謙遜-ゼカリヤ書)  神に対する応答 十分の一献金(捧げるとは主を恐れることを学ぶ 捧げる(献金の祈り ムシのいい祈り”ごくわずかをお捧げしました、これを清て幾層倍にもお用い下さい、御用のためにお用い下さい、本当にわずかなもの、少し余ったものを捧げて謙遜なふりをしている、慇懃無礼である、余計なお世話である 神様は魔法使いでない お金を差し上げることではない レプタ二つを考える必要がある、レプタ二つと祈る人が多い、意味が分かっていない 私たちは神の奴隷ですということを確認するときです 唯一神が試みてよいと言っている 私の体を捧げます 心に葛藤がある”神様が私を生かしているのか、お金が私を生かしているのか” 先ず犠牲を払いなさい 自分の生活に痛いなと感じるほどがいい 礼拝のクライマックスである 自分のくらしの上のプラスアルファ―ではない) プロテスタントの礼拝は聖餐式の回数が少ない(音楽つきの講演会の感がする、説教がつまらなかったら献金が損したような気がする、総評論家の気がする) うめ子先生(この先生の前なら何でも言える うれしいないきている--病気で入院--本が読めて字が書けて、うれしいな寝て遊んでいる、神様のご褒美--うれしいな少し手が震え面白い、ちょっとさびしいけれどこれでいいのね、思い上がらないでいきましょう感謝、感謝ね--何でもよく解釈していると深刻ではないのよ--お味噌汁飲んではああおいしいと言うのよ--) 謙虚さの美学(全てを受け入れることができる) うめ子先生は自分を捨てた


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