お話の聞き方説明
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1996/06/02 「行き届いた神」 ヨハネの手紙1 5:1〜12  (MP3)                  
三位一体主日(父なる神、子なる神、聖霊なる神が一人の神を表す 一人の神の三つの顔 向かい合う対象によって呼び方が違う)  聖霊(呼び求めるものではない 私たちの魂は聖霊の海の中に生きている) 私がいて神様がいる、この発想を神様がいて私がいると変える 道元禅師(仏道を習うとは自己を習うなり”自己を忘するるなり”--浮き身の姿勢--) 海でおぼれかけた石川牧師(波に巻き上げられ溺れそうになった--どうせだめなら神様にご挨拶して死のうと思った--沖に出て体の力を抜いて漂った--大の字になって祈った--最悪の覚悟をして決めるのはあちらだ--思いがけない道が開かれます--)

1996/06/23 「人生の意味」 ガラテヤ 5:1〜15  (MP3)                  
聖書に何が書いてあるのですか一言で言ってください(神は愛である 隣人を自分のように愛する) 人は何のために生きている(人を愛するためです) 初期の教会は信徒が中心になって運営していた(説教者は巡回していた) 神によろこばれる資格を自分で作る必要はない 石川牧師の初任のときのお話(学生時代は不良であったが赴任して始めはまじめなパリサイ人であった 人の汚れが嫌だった 不正はこれっぽちも許せなかった 会計さんのわずかな不正を責めた、それ以後会計さん一家は教会に来なくなった ) 律法(道徳は一応の目安でありこれにとらわれなくてもよい) 福音はただもらいである してあげる愛の結果はすべて相手側の問題にすり替えられる(私がこんなにしてあげているのにありがとうの”あ”の字もないわ、私はいったいなんでしょうとなる) おばあちゃんを介護した嫁さんの話(介護してあげなくちゃと思っていた そのうちにおばあちゃんから教えられることがいっぱいになった してあげるから違いを認めるに変わった) 藤木正三牧師(愛するということは人が自分と違うのだということ、そのことを知ることすら難しいことほど違うのだということを受け入れることだ そのことを分かることです--人がどのように生きようが、たとえどんなに変だと思う事をしようが口を挟まないことです 基本的にはそれを認めることです 耐えることです 見ていられないとはこちらであって当人はそれで結構、自分なりに納得し、満足している場合が多いものです) 愛はすべてを耐える(お手本はイエスです) まず家族に仕えることです

1996/06/30 「時間の無駄遣い」 テモテ2 2:1〜13  (MP3)                  
片山 日出雄海軍大尉(「アンボンで何が裁かれたか」 --捕虜を銃殺した責任者として裁かれたのです--オーストラリヤ側には、恨みがあったようです。--光教会という名前の教会を収容所の中に作り、日々聖書研究をはじめました。この聖書研究会で、次から次に、洗礼を受ける人が出てきました。--無実である彼は、自分を裏切り、平和な生活を送っている上官のことを知っていました。周りの人が告発したら、と、言ったのですが、『私のようなことが起こらないためにも、せっかく幸せに暮らしている人の幸せを壊すわけには行かない、わたしが死ぬのだ--彼は自分の無実を晴らすことにも努力したのですが、他の人の無実を晴らすためにも努力しました--私がここで処刑されるとしても、わたしは豪州人になしたことのために死ぬのではなくて、日本が戦時中なしたことの故に死ぬのであります”日本の罪を負って死ぬ”--日本とオーストラリアの平和につながりますように--) 教会は膨大な無駄遣いをするところ(ノアの箱舟のように航行能力のない一見無駄なような船を作ったと聖書は言う 教会は一つの船で全人類の救いのシンボル) 苦しみを負おうしないものはキリストの恵みにあずかれない 藤木正三(神の前で死んだものは一つもない--生きている神の前に存在しているものに死はない--つまらぬ雑用も生きるのです、無駄と思える努力も生きるのです、むなしく過ぎたと思える時間も生きるのです、踏みにじられた行為も生きるのです、役に立たなかった準備も生きるのです、報いられなかった忍耐も生きるのです、はかなくついえた希望も生きるのです、みんな生きるのです--罪さえも生きるのです) 片山大尉のお話はここでも読むことが出来ます


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