お話の聞き方説明
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1996/04/07 「希望に生きる原点」 ルカ 24:1〜11  (MP3)                    
NHK(「聖書の学び」 投書 --私たちが罪を犯せばイエスを再び十字架につけると考えました--エロイエロイだけが心に棘のように刺さって残った--十字架の逆説--自分の甘さと不勉強がおかしくも思いました--神の弱さは人よりも強い--弱さの中に発揮される力--十字架の弱さ--主が生き続けていることが強く感じさせられました) イエスキリスト(スーパーマンか、死んでもむくむくと起き上がるのか”イエス偶像教となる心配がある”、イエスは私たちと同じ人間としての限界をもって生きられた) 不遇の中に死ぬことがあっても神は見捨てない(十字架の死、挫折したら終わりではない) 死んだらお終いでなく始まりである 八木重吉(わが歌 いよいよまずくあれ キリストの栄 日ごとに大きくあれ)

1996/04/14 「切り捨てない神」 マタイ 28:1〜15  (MP3)                   
恐れる”あり得ないことを見た”ことはない 渡辺信夫牧師(わたなべ のぶお 神がおられると信じるだけでは、ほとんど意味がないのです、神は恵深いと信じるだけでも、はなはだ不十分であります、神があなたの罪を許したということを確認するに及んで始めて信仰はその本来の意味と力を獲得するのであります--) キャンベル牧師(驚きは神様が私たちに起こされる大事な大事な働きです--驚きを通して大事なことを気付かせる--驚きはさらに素晴らしい結末へつながる--神は驚かすことができるのです--やり場のない退屈を通して驚きを与えられる--あなたたちが打ちのめされることがあっても神が打ちのめされることはないのです) ガリラヤで会おう(復活”生前のイエスがよみがえった”弟子たちが生活していたところでお会いになる、おまえ達のあるがままを出せるところで会おう しかも先回りしているよ、弟子たちにはこれが驚きであった) 一度自分を突き放すために驚きが与えられるのです

1996/04/21 「守りから攻めへ」 マルコ 16:9〜18  (MP3)                    
犬養道子(「人間の大地」 --南”開発途上国、難民、飢餓”の救援にも手を貸さず口に平和、軍縮を唱えるのはナンセンスだ) 団地住まい(隣人の付き合いが少ない--収容所に一人の少年がいた、--食べよう飲もうとせず衰弱していた--これ以上生きていてなんになろうという深い絶望を感じていたのだろう--ピターという名前のボランテアが預かり二晩その子を抱きしめほほずりし、歌い続けた三日目になってその子がほほ笑んだ--その後食事をするようになった--愛情が最上の薬なのだ--一番欲しいものは愛だった--すべての人が自分より大事だと思う人は宗教の人だ) 遠藤周作(弟子たちはいい話を聞こうという気持ちがあっても特別な信念もなく、肉体的恐怖のためには自分が尊敬している人も犠牲する卑怯な性格がありそのくせ自惚れと世俗的野心だけが強いという平均的な人間だった、聖書の中に出てくる人物は私であり皆さんである) 死海写本(一番古い聖書、その後に書き写された写本は比べると驚くほど正確だった、マルコ福音書の結びは書き足されたもののようだ) マルコによる福音書(辺境の福音書とよばれている) 与えられていない気がするのは自分が与えようとしていないからだ

1996/04/28 「貧しさの共有」 ルカ 9:10〜17  (MP3)                   
交わりと命 祝福とは豊かさを共有することではない、貧しさを分かち合うのが祝福である 心の中に大事なものが抜けているこれが貧しさです  犬養道子(「乾く大地」 --難民キャンプに塩が届いていなかった--手つかずの一袋の塩が残っていた--倉庫は鍵がかかっていなかった--盗むそのような思いは彼らになかった--みんなで分け合う心を持っている--貧しさの共有が出来たらよい--カメルーンの人の詩--人間の愛を分け合う時を--) 本当の貧しさの中にある人は盗もうと考えていない  永山教会に望むこと(来たくなる教会、心を病む人たちが安心して話せる場所になって欲しい 愛は評価しない 障碍を持つ人がいない教会は病んだ教会だ、その人たちが真ん中にいるような教会になって欲しい 必ず治る病気なのだと信じてほしい 楽しめない人”共感できない人”のことが気になるようになってほしい あるがままでいられる教会)


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