1995/06/18
「貧しさの共有」 使徒言行録 4:32〜37
(MP3)
主題(教会の一致と交わり)
二十一世紀のキリスト者のイメージ(--絶望を知らない人--)
すべてのものを共有(--使徒言行録4章32節----ルカの描く理想的な教会の姿”みな人々から好意を持たれていた原始教会の共産生活”神からの恵みが一同の上にあった。なぜなら彼らの中には一人も貧しい人がいなかったから--神様の恵みが生き生きと生きている教会”物質的なものの共有ばかりではなく貧しさの共有があった”--貧しいということは私たちが貧しいからだ--)
大江健三郎(ノーベル賞受賞作家--「あいまいな日本の私」岩波新書--大江光”生まれたときから目が見えません”--光という名前の理由”シモーヌ・ヴェイユというフランスの哲学者、エスキモーの神話「カラスの話」、カラスがいて永遠の暗黒の中に暮らす。えさをついばむのにも苦労している。光があったらいいなとカラスが言ったら全世界に光が満ちた。暗黒の中に「光が」という祈りがあった。本当に価値ある人間とは苦しんでいる人にあって「あなたはどのように苦しいのですか」と問いかける人”--光とすべてのものを共有してゆこうと決意した--不幸なものというレッテルをはらない、あくまでも私たちと性格の同じ一人の人間とみていく、たまたま不幸なためにほかのものには追随できないしるしを身に帯びているだけ--不幸な人の上にただ一途な思いをこめた目を向けることができればそれで十分であり、どうしても必要なことである。その目は何よりも注意する目「祈り」である--六歳の時、鳥の声のレコードを何時間でも聴いていた--森の中を歩いていたとき「今、もし向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる」という井伏鱒二の「占い」の言葉を思い出した。大江さんはだけかんばの木を見つめ次に何かが起こるのかをじっと気をつけてまった。このとき鳥が鳴いた。光君が「くいなです」と初めて話した--)
一つの不幸があった時それを絶望しないで祈る