お話の聞き方説明
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1995/06/04 「仲間入りしたくなる交わり」 使徒言行録 2:37〜47 (MP3)
 聖霊降臨節 三位一体(--一人の方の三つの人格--石川牧師を例に取れば”牧師という人格、妻の前では夫という人格、子供の前では父親の人格”--信仰を持ってしか理解できない--)
 養老猛(--オーム真理教--現代社会のミニチュア版--教育勅語”宗教と哲学を教えない”の延長線にしかない”敗戦後精神だけは現代に残ってしまった”--諸外国からは恐怖に見える”日本人は何を考えているのだろう”--)
 キリスト教もこの教育勅語に加担した思いがする(--”聖者--かくあるべしというお手本を実行できた人--ランクで人を見る”差別で人を見る”--疑問を持つ姿を不信仰ととらえる”健全であると捉えない、信仰が弱いと捕らえる”)
 聖霊信仰(--神秘体験だけではない--つなぐ働きとしての神--感性の霊--感覚の霊--結果を問わない--) ルードルフ・ボーレン(スイスの進学者--耳の復活祭、目の復活祭--聖霊が働いて新しい感覚を生み出して下さるのです--私たちの魂が低くされたら水が自然に流れるように人も集まってきます--聖霊は信者にだけ与えられているものではありません--身を清めて待つものではありません”コンプレックスの塊となります”--) 信徒の交わり(--同じ釜の飯を食う--)
 伝道(--キリストの教会である交わりに加わることである--特別伝道集会は不要--皆さんの家族にも聖霊は与えられている”家族の心と共感する”--)
 藤本義一(--全家連”精神障碍者家族連絡”--親切”親を切ること”--緑色のインコが夕日で真っ赤になったのを母と一緒に見た見た男の子の話”交通事故で亡くなった父が飼っていたお父ちゃんのインコが真っ赤できれいになった。お母さんも一緒に見ていたのでお母さんを大好きになった”--)
 神は死んではおられない(--アウシュビッツ、絶望的な状態の中でも神は生きておられます--)

1995/06/18 「貧しさの共有」 使徒言行録 4:32〜37 (MP3)
 主題(教会の一致と交わり)
 二十一世紀のキリスト者のイメージ(--絶望を知らない人--)
 すべてのものを共有(--使徒言行録4章32節----ルカの描く理想的な教会の姿”みな人々から好意を持たれていた原始教会の共産生活”神からの恵みが一同の上にあった。なぜなら彼らの中には一人も貧しい人がいなかったから--神様の恵みが生き生きと生きている教会”物質的なものの共有ばかりではなく貧しさの共有があった”--貧しいということは私たちが貧しいからだ--)
 大江健三郎(ノーベル賞受賞作家--「あいまいな日本の私」岩波新書--大江光”生まれたときから目が見えません”--光という名前の理由”シモーヌ・ヴェイユというフランスの哲学者、エスキモーの神話「カラスの話」、カラスがいて永遠の暗黒の中に暮らす。えさをついばむのにも苦労している。光があったらいいなとカラスが言ったら全世界に光が満ちた。暗黒の中に「光が」という祈りがあった。本当に価値ある人間とは苦しんでいる人にあって「あなたはどのように苦しいのですか」と問いかける人”--光とすべてのものを共有してゆこうと決意した--不幸なものというレッテルをはらない、あくまでも私たちと性格の同じ一人の人間とみていく、たまたま不幸なためにほかのものには追随できないしるしを身に帯びているだけ--不幸な人の上にただ一途な思いをこめた目を向けることができればそれで十分であり、どうしても必要なことである。その目は何よりも注意する目「祈り」である--六歳の時、鳥の声のレコードを何時間でも聴いていた--森の中を歩いていたとき「今、もし向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる」という井伏鱒二の「占い」の言葉を思い出した。大江さんはだけかんばの木を見つめ次に何かが起こるのかをじっと気をつけてまった。このとき鳥が鳴いた。光君が「くいなです」と初めて話した--)
 一つの不幸があった時それを絶望しないで祈る

1995/06/25 「確信と独善」 使徒言行録 4:5〜12 (MP3)
 主題(教会,キリストの確信)
 良寛(--老いの身のあわれ--杖を忘れて帰る夕暮れ”杖を忘れて帰るわが身の情けなさ”--)
 ペテロ(--この名のほかに救いはない”三章一節からのつながりを持つ”--私たちを見なさい持っているものをあげよう”歩きなさい”といえたのは上昇志向をやめたから--)
 確信と独善は背中合わせ(--自らの姿に気付いていない独善的な確信は危険--問題を全部自分以外のせいにする--)
 藤木正三(--前進は心がけるべきですがそこに救いはないと心得ておくべきでしょう--生かされていることを感謝することです--前進を目的とすると限りのない欲望にさいなまれてしまう--目的ではなく手段である--生かされているということは許されていることです--生かされるということが許されるの同義語と気づいたとき生かされて生きる歩みは実際に愛--)
 人間を決めるものは何か(--アダムとエバは善悪を知るようになったとき裸であることが恥ずかしくなった--比べる世界は安定と満足を打ち壊す--手段と目的を間違えることに人間の罪がある--礼拝は目的でなく手段である--キリスト教が最高だと思いあがらないほうがいい--性格を変える必要はない”どんな人にも特徴があり欠点がある”--)
 工藤信夫(--ルーテル神大--学生時代観念的なキリスト教が嫌になった--宗教者からキリスト教はダメなんだよと言われたことに反発した--宗教の傲慢性に気付いた--)
 私にとって独善的に見えるくらいに確信したい(--私は許されているものと確信する--)

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