お話の聞き方説明
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1995/04/02 「逆転の発想の完成」 マルコ 10:32〜45 (MP3)
 罪(--私たちがいかに神の前に罪を犯していたか--道徳的な良い悪いではなく神の前においていかに見当外れの歩みをしているかに深く気づいてゆくことだ--)
 ダビデ(--だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起した”サムエル記上30章6節”--サウル王のやっかみから逃げた--ピンチの時”その神、主によって力を奮い起こした”--この戦いはどうでしょうかと問う姿勢”パウロも改心の時にこの問いを発した”--晩年、部下を殺したり、子どもたちの育て方が悪かったりした、でも、神は人間の欠陥を問題にしてはいない、ダビデの信仰を愛した--)
 スチュアート(--スコットランドの説教者--何かがあったときに動かす信仰--逆転”復活、死んでも死なない”を信じうる--信仰のありようが生活に現れる--)
 キリストを信じる人間”クリスチャンのイメージ”(--絶望しない人のこと--まだ大丈夫--自分の思うとおりのことが起こるに違いないと思い込むことではない”神は私たちの思いを超えている”--どうしたら良いでしょうかと問う姿勢から具体的な出発が始まる 自分が思い込む通りになることが信仰ではなくて神は私の思いにまさってよいことをすると信じていることが信仰です--)
 当時の祭司たち(--無理やり陰謀を持ってイエスを有罪にしたような印象を与えるのはよくない--人間の裁判には限界がある”絶対正しい裁判はない”--) マルコ福音書(--弟子たちがトンチンカンでイエス様のことがわかっていなかったと描きます--)
 逆転の生き方(--自分の出発となるポイントが洗礼です--)

1995/04/09 「無責任な歓迎」 マタイ 21:1〜11 (MP3)
 子ロバにのってエルサレム入城(--旧約の成就”ゼカリヤ書9章9節あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る”--平和の王--ルターは”物乞いをする王”といった--大群衆は歓迎した”無責任な歓迎と思い込む私たちも反省する必要がある”--イエス様の心はどうだったのだろう--)
 ミッシェルクォースト神父(--クリスマスだけに教会に来る人たちのマイナス面しか見てはいけない、無意識の叫びを信仰の耳を持って聞こうとはしないのか--イエス様は私をどのようにみておられるのか--イエス様を偶像化しているのではないか--わたしの惨めさは神がわたしを愛してくださることを妨げはしない--)
 イエス様はエルサレムのありさまを見て涙した(--現代にも通じます”昔の人たちは悪かったね”などと思う私たちを見て涙されます--)
 イエス様の宮清めは暴力行為だった(--人間イエスとして行動した--)
 実のならないイチジクをみて怒ったイエス様(--人間イエスとして行動した--イエス様の絶望感がそうしたのではないか)
 イザヤ書53章(--彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。--)

1995/04/16 「もう泣かなくてよい」 ヨハネ 20:1〜18 (MP3)
 タイタニック号(--従容として死んだ人たちはなぜ美談として伝えられているのか--人のできないことができることは偉いと思っているからか”キリスト教の成功体験ばかりが強調されているのでは、三等船客は逃げる場所もなかったそうだ、怒りの死もあるのでは”--人の死の意味を探れば探るほどむなしさがつのる--遺族にとっては腹の立つことである--)
 マグダラのマリア(--七つの罪が許された人--イエス様によって決定的に人生を変えられた--これからの人生はイエス様のために使おうとしたに違いない、そのイエス様が無残な死を遂げられた。自分にできることは墓にいって遺体を引き取ることだと思った。しかし墓がからだった--)
 ヨハネ福音書の特徴(--20章--”見る”という言葉に大事な意味を持たせている--石が取りのけてあるのを見た、亜麻布を見た、見て信じた、墓の中を見ると、天使が見えた,イエスが立っているのが見えた,私は主を見た”信仰的に見た”--人間的に直接見えたことと、同じものを見た背後に信仰を見る--)
 神の目から見たときにはどのような死も無意味なことはない(--よみがえり、復活がある--天地をお作りになった歴史の主を信じる--不条理を超えて愛される神--)
 洗礼を受けた人がいた(--本田神父の言葉”ふよみがえりの時、どの墓も空になった”ということを聞いて”今まで不義理していたので家族の墓には入れないだろうと思っていた。だか墓はなくてもよい”と思い洗礼を受けた--)
 日曜は安息日なのだ(--これが教会の基盤--)

1995/04/23 「嗜好品ではない」 ヨハネ 6:35〜40 (MP3)
 松永希久夫(まつなが・きくお--前東京神学大学長)「独り子なる神イエス」--イエスを食しなくても生きて行けるなら、それは嗜好品にすぎない、あってもなくてもよいのならしいいて人に伝える必要はない---命の糧でありこれを欠くことが致命傷であるとすれば、全ての人がこれを食する必要がある。命のパンが終わりの日に関係づけられ、復活と結びつけられているのはその故である--)
 命のパン(--マナ”これはなんだ”--イエスは私は命のパンだといった”私を食べなさい。聖餐式のシンボルだけとすれば呪術てきとなる。私たちの命の根源であると言われた。これなしには生きられない”)  聖餐式(--精神的な安らぎだけが目的となるなら主食としてイエスを食べたことにはならない--)
 あなたは私を見ているのに信じない(--生き方”迷いがなくなることではない”が変えられていない--) 洗礼(--自分自身を確認する出発点であり、到達点ではない--神様が私をとらえてくださったことを承認した--)
 信仰深げに見せる必要もない(--クリスチャンだと掲げる必要もない--私たちの条件によってイエス様が私の中に住んで下さるわけでない--無条件である--)
 聖霊(--修行を積まなければくるというものではない--どうぞ来てくださいと頼むものでもない--始めから満ちあふれているものである--礼拝に来ることができるのも聖霊の働きである--神様のバカヤローといっても神様はにこにこしている”聖霊の働きに気づく”--私の内”内面宇宙”にキリストが住んでくださる--)
 自分の判断(--神様の前でよく考える”神様はもっと大きなものを考えていることがある”--結論を先取りしない--ゆだねる--じたばたしない--)
 月定献金(--まず一番先に取り分ける--) 礼拝時間を確保する(--私の命は神のものという意識にかかわる--)
 アバウトな教会が好きです(--原則の上に立ち、その原則を持ち出さずに自由に動くことができる教会--おおらかさのある教会--)

1995/04/30 「迷うのが健全」 ヨハネ 10:7〜18 (MP3)
 主題(良い羊飼い)
 藤木正三(--神を信じるという人が神を信じているわけではありません。神に生かされている人が神を信じているのです。神に生かされている人は神について語らないで神に生かされている自分を語ります。信仰の問題は神の問題でも人間の問題でもなく自分自身の問題です。信仰を脅かすものは従って無神論でも科学でもなく、多忙な生活でも、物質的欲望でもなく、道徳的混乱でもないのです。それは自分を批判、吟味することに時間と労力とを費やすことを無駄と考えて、簡単に自分を通過してしまうことです。救いだけを語る宗教は人間を侮辱しています。裁きだけを語る宗教は人間を過信しています。裁きと共に救いを語る宗教は人間を甘やかしています。信仰において神が与えようとしているのは救いでも裁きでもないのです。それは明晰です。安住しようとしている足下を崩し、迷うべき本来の私の姿を自覚せしめてくれる明澄なる人間への洞察です。信仰のたまものは迷いがなくなることではなく正しい迷い方です。--) 
 信仰(--問題が解決すると思わない”問題が解決しない人は信仰がないとなってしまう。そのようなことはない”--行き詰まることがあるが望みがある--自分を通過させない”目の前に神様がいらっしゃるのを忘れて頭で考えてしまうことがある”--感性を大事にする--)
 よい羊になろうとする必要はない(--私は羊である--羊は迷いやすい”目先しか見えていない。そのように作られている”だから私たちには良い羊飼いがいらっしゃる--)
 パウロ(--自分の弱さを誇る--行き詰まりに甘んじている--自分を裁かない--)
 上林順一郎(--早稲田教会--「なろうとしてなれないとき」--神が働かれる場--新しい自分が与えられるとき--”なろう”とは自分が勝手に抱くイメージです--挫折や敗北ではなく、実はキリストにあって新しい自分を得ることのできるときだといえる--)
 内村鑑三(--「目的の進歩」--余が欲する者にはなれなかった、余は今は何者にならんとは欲しない--余が欲するのはイエスが人のなすべきこととして示したまいし業である--) 

                                                                                         
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