1995/03/26
「出発となる最後」 ルカ 9:28〜36
(MP3)
主題(イエスの変貌”旧約の完成”)
信仰(--どのようなことなのかをしっかりと見つめる--キリスト教こそ第一という思い上がりを捨てる”皆同じ仲間として受け入れる。弱い立場の人を作らない”--人間の価値観を基準とした信仰は創世記アダムとイブの善悪観、これはよくありません、イエス様をイワシの頭とする信仰です--イエス様が私たちに示されたのは善悪は神のものだということです”神様しかわからない”--)
贖罪信仰(--イエスを裁いた祭司たちを悪とすることはできない--当時の律法”法律”に従った--モーセの律法に従った”何者をも神とすべからず”--贖罪信仰を考えすぎると大事なことを見失う”当時の律法学者を悪と決めてしまう。当時特に豊かな生活をしていた人たちがイエス様を神とわかったか。イエス様を教えられなかった当時の私たちとしてで考えてみたい”--)
よきサマリア人(--示される自分は、祭司であることの自覚が必要--この場合には私にはもっと大事なことがあるとして見過ごしていってしまう私たち、それは仕方がないことだと思う私たち--)
謙遜(--どうぞどうぞとただ人に譲ることではなく、私たちのずるさとか、神様から見た見当外れを自覚する--)
田川水泡(「人生面白説法」--人間は生まれてから死ぬ、キリストは死んでから生まれた--)
福音書(--書いた記者の立場によって何が大事にされているかにより異なります--) エレサレムでとげようとしている最後(--ルカの取り上げたかったテーマ--ルカ福音書らしい表現”イエス様が祈っていたとき、弟子たちはひどく眠かった--)
エクソドス(--”旅立ち”新約聖書では”最後”と訳されている--出エジプトもエクソドスである--石川は”旅立ちとなる最後”と訳したい--イエスは十字架が出発点”エクソドス”となった--) 愛(--時間も、物質も損をすること”このことなしには弱い人の立場に立てない”--アジアからの批判”日本人は損をしない”--イエス様の示されたものでもある--)
犬養美智子(「人間の大地」--宗教という言葉の語源は他者もろもろとのかかわりあい”関わり合いを拒絶するのは人間ではない”--) マザーテレサ(--愛の対極にあるものは憎しみではなく無関心”関わりを拒否する”である--)
薄田神父(「炊き出しに並ぶキリスト」--釜ヶ崎、いこい食堂の金井牧師”元気なときには並ぶ人々にどうすれば内容のある雑炊を配ることができるだろうかと考えた、つまり、雑炊を配る側にキリスト者の姿を見ていた、しかし健康を害してしまった今はキリストが列に並んでいるのではないかと考えるようになった、それも行列の一番後ろに”--)