お話の聞き方説明
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1995/03/05 「絶体絶命でも」 ルカ 4:1〜13 (MP3)
 レントの日数の数え方(--レンテン”春という意味”--四十日--日曜日は復活を祝う日だから日数カウントから外す--イースター礼拝の前までの期間--)
 灰の水曜日(--灰は悔い改めの意味--レント期間の初めての日--教会に来ることを許されなかった人が額に灰を塗り教会に来ることができた--)
 成功したい欲(--人に褒められたい--優越感を持ちたい--)
 信仰欲(--力信仰--力による平和--あなたが神の子だったらこれと言うときに力が発揮できる欲--) 霊による引き回し(--神に服従し従った--)
 四十日四十夜の試み(--歴史的な事実ではない--ボンフェファー”誘惑は聖書的な意味では力を試すことでなくて、すべての力を失うことであり無防備でサタンに引き渡されることです、イエスもこの無防備な状態で、誘惑にあわれました”--ティーリケ”わたしたちは人生の最も深い危機の中にあるときにもイエスという兄弟を持っているのです、私たちが孤独になることはなくなりました”--)
 誘惑に対してはすべて神の言葉で勝たれた
 川越 厚 先生(「安らかな死」 --在宅ホスピス、患者田坂さちこにかかわった人たちの記録--柳田邦夫先生”人は自分の死を創造できる”--訪問看護師田中信子さんの記録”死ぬなら天国に行きたいし、でも今のままでは行けないしどうしたらいいの、今は祈る気もない、牧師さんにお祈り頼もう、うれしい明日からすることが見つかってと田坂さんは言った”--恐れていたのは死そのものではない、死の近いことを悟り明日からどうやって、何を目標に生きていけばよいのかを見いだせない状態が苦しみだった--明日なすべきことがあることそれが生きる力につながることを教えられた、何もないことが絶望なのだ--)
 絶望の時(--主が共におられる--)
 主よお任せします(--そこから道が開かれる--)

1995/03/19 「誤解と恥の受容」 ルカ 9:18〜27 (MP3)
 貞子さん(--長谷川町子の母--体力が衰え人の世話になることのほうが多くなっていく年寄りには生きる意味はないのかね--私の家に”こま”という犬がいます。もう15歳で老齢で--突然失明したのです--耳も聞こえなくなりました--名前を呼ばれても分からなくなりました、嗅覚でわずかにさとるようです。--しかしその表情や動作にはいつも喜びがあふれているように見えます--私はこのように欣然として生きてはいられないと思います--悟りを開いたお坊さんのようです--この犬は老人のお手本です--本人の知らないところで価値を与えられている--人生の先達を見る思いがします--自分を見つめる愚かしさに空しさを教えられます--)
 名誉欲(--褒められるとうれしいし、けなされると悔しい--)
 今日一日生きる(--明日を思い煩わない--)
 自分を捨てる(--あるがままを見つめる--自分の解釈を捨てる--自分の考えをゴワサンにする--善悪の区別がある限り宗教戦争はなくならない--見当違いがぶつかって争いとなる--自分で先立った不安の計算をしない--)
 十字架を背負って(--恥と誤解と非難をじっと受け止める--十字架の印をつける--)
 イエス様に従う(--もう、私たちの内側にイエス様が住んでくださった。どうぞよろしいように--恥をかいてもいい--誤解されてもいい--人に嫌われていい--)
 寺本松野(--てらもとまつの、雑誌「あけぼの」--「看護の中の死」--胃がんで亡くなられた方の記録--寺本さんはその患者の話を聞くとき心を整えた--そしてこう話した”今が最高につらいときね、どん底まで落ちて初めて新しい光を見つける。力が尽き果てて自分の限界を感じる。今のあなたがそれで、肉体的にも精神的にも最低の所よ。一週間、一ヶ月は今のあなたに遠い日よ、毎日を精一杯生きてみない--毎日毎日に自分を賭け、たとえば看護師さんに今日も一日しっかりやりますからよろしくって挨拶が出来るように--あなたと私似ているでしょう。職業でしっかり生きてきた同士として。しっかり生きてきた思い出を枯らさないようにすることが一日一日を生きることではないかしら”--自分の死を受け入れてほしい--心の準備ができて死をむかい入れてほしい--それが私の基本です--気休めを言わない--死んだらあなたはこうゆう世界に行くのよと伝えます--あなたが生きている間に苦しんだことは向こうで待っている神様には伝わっているからと伝えてあげたいと思います--この患者さんは死ぬ前に洗礼を受けました--)
 春いたったら花開く(--命が宿り自然に花が開く--)

1995/03/26 「出発となる最後」 ルカ 9:28〜36 (MP3)
 主題(イエスの変貌”旧約の完成”)
 信仰(--どのようなことなのかをしっかりと見つめる--キリスト教こそ第一という思い上がりを捨てる”皆同じ仲間として受け入れる。弱い立場の人を作らない”--人間の価値観を基準とした信仰は創世記アダムとイブの善悪観、これはよくありません、イエス様をイワシの頭とする信仰です--イエス様が私たちに示されたのは善悪は神のものだということです”神様しかわからない”--)
 贖罪信仰(--イエスを裁いた祭司たちを悪とすることはできない--当時の律法”法律”に従った--モーセの律法に従った”何者をも神とすべからず”--贖罪信仰を考えすぎると大事なことを見失う”当時の律法学者を悪と決めてしまう。当時特に豊かな生活をしていた人たちがイエス様を神とわかったか。イエス様を教えられなかった当時の私たちとしてで考えてみたい”--)
 よきサマリア人(--示される自分は、祭司であることの自覚が必要--この場合には私にはもっと大事なことがあるとして見過ごしていってしまう私たち、それは仕方がないことだと思う私たち--)
 謙遜(--どうぞどうぞとただ人に譲ることではなく、私たちのずるさとか、神様から見た見当外れを自覚する--)
 田川水泡(「人生面白説法」--人間は生まれてから死ぬ、キリストは死んでから生まれた--)
 福音書(--書いた記者の立場によって何が大事にされているかにより異なります--) エレサレムでとげようとしている最後(--ルカの取り上げたかったテーマ--ルカ福音書らしい表現”イエス様が祈っていたとき、弟子たちはひどく眠かった--)
 エクソドス(--”旅立ち”新約聖書では”最後”と訳されている--出エジプトもエクソドスである--石川は”旅立ちとなる最後”と訳したい--イエスは十字架が出発点”エクソドス”となった--) 愛(--時間も、物質も損をすること”このことなしには弱い人の立場に立てない”--アジアからの批判”日本人は損をしない”--イエス様の示されたものでもある--)
 犬養美智子(「人間の大地」--宗教という言葉の語源は他者もろもろとのかかわりあい”関わり合いを拒絶するのは人間ではない”--) マザーテレサ(--愛の対極にあるものは憎しみではなく無関心”関わりを拒否する”である--)
 薄田神父(「炊き出しに並ぶキリスト」--釜ヶ崎、いこい食堂の金井牧師”元気なときには並ぶ人々にどうすれば内容のある雑炊を配ることができるだろうかと考えた、つまり、雑炊を配る側にキリスト者の姿を見ていた、しかし健康を害してしまった今はキリストが列に並んでいるのではないかと考えるようになった、それも行列の一番後ろに”--)


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