1994/12/25
「ほめたたえよ」 ルカ 1:68〜79
(MP3)
大江健三郎(--大江光が大江文学を支えている、障害"てんかん、運動障害、知能障害"を持った子供を抱えて生きるということはどのようなことか--光のいいたいことを私が変わって言おう--光の気持ちを受け止めたい”このことが文学になる”--光は泣いて悲しいとか、涙を流した経験がない--光は赤ちゃんの時から音楽に反応していた--私の作品は私の死後しぼんでゆくが、光の作品は演奏してくださる方が一人でもいる限りずっと生き続ける--光るも音楽という形で自分を表現することができた--光がここまでこれたのは光を愛してくれた多くの人がいた--)
光さんの音楽(--優しさがある、余計な音がない--悲しいという題の曲もある--演奏する人には本当の技術が問われる--)
ゼカリヤ”ザカリヤ”の預言”賛歌”(--口がきけないようになった”障害は神様からの罰や呪いではない”否応なしに沈黙の世界に入った--自分は人とのコミュニケーションに対してなんといい加減であったかと気づかされた”神様の深い愛と恵みにきづかなかった。人間の目だけで判断していた”--注意深さが祈りにつながる”シモーネレーユの言葉”--祈りを知らない限り謙遜になれない--謙遜が祈りを生しまた新たな創造を生み出す--我らの道を平和に導く”私たちを通して、私たちに触れる人が平和に預かることができる。気が楽になって、うれしくなって、ほっとして、そのような存在に私たちがなる”--ゼカリアは耳を澄まし、目を凝らすようになった--)
伝道(--教会の人が普段から謙遜に生きることを通して人々が自ずと近づいてくる--教会に集う人々が謙遜に生きることを通してイエスが伝えられる--名説教で感動しても教会員と触れてがっかりしたらなにもならない--仲間入りしたい交わり--)