1994/06/26
「照顧脚下」 エフェソ 5:1〜14
(MP3)
照顧脚下(--履物は揃えて脱ごう心が揃う 誰かの履物が乱れていたらそっと揃えておこうみんなの心も揃う--)
足元が乱れている(--心も乱れている--)
教会での奉仕(--履物をそろえる--己を顧みてみよう--宗教の基本は自分が問われる--)
コロサイの教会(--いつのまにかイエスキリストを信じるということからそれてほかのものが大事”二元論”になってきた--)
キリスト教は二元論ではない(---イエスは聖と俗という区別はあり得ないことを示された--)
問題の解決を別なところに求める(--たとえば、私たちが悪いのではなく先生が悪いのだというようなもの--)
道元禅師(--曹洞宗の開祖--仏道を習うというは自己を習うなり--)
空海(--日本天台宗の開祖弘法大師”(こうぼうだいし)の諡号”--心理はどこか遠くにあるものではなくて自分の心の在り方を問題とすることです--)
礼拝の前奏は主客転倒の時(--自分は礼拝に導かれてきたことを感じるとき”自分の信仰の業ではない”--自分が許したのではなく許された自分を感じるとき--よくないことが起こってもそれは罰ではないことを信じるとき--)
愛(--行いではなくどこに基盤をおいているかということです--優しさとか親切とかは受け取った人が評価すいる結果である--愛を身につけなさいとは優しい親切な人間になりなさいということではない--基盤は自分はダメな人間であるということにある--どういうわけでかキリストは自分を捕まえてくれたホントにありがたい--)
100歳の書道教師桝本うめ子先生(--山形県山懐の日本一小さな高校基督教独立学園--自分は天国一座--どんな人も良くやっている--”悪い人って一人もいませんよ”--)
デール カーネギー(「人を動かす」--奥さんが相談に来た”うちの家ほどごたごたした家はない、どうしたらいいでしょう”--誰が悪いか実験をした”まずご主人を一週間外に出したが変わらなかった。こうして家族を次々と外に出したてためしたが改善されなかった。いよいよ相談に来た奥さんが家を出た。そしたら家族がうまくやっていた”--奥さんに原因があった--物事の解決を外に見つけない--)
人を変えようするなら自分を変えなさい(--愛を身に着けることに通じます--)