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頼りになる口寄せのできる女

(サムエル記上28325

                                             石川和夫牧師
  
 

 「サムエルは死んだ。……サウルは、既に国内から口寄せや魔術師を追放していた。」(28・3)
 ダビデ物語が中断されて、挿入されたサウル王の困惑の物語は、この言葉で始まります。サウルには、とても厳しく、年老いてからは一層、気短に怒る、けれども、頼りにしていたサムエルが死んだのです。能力のある有望な部下のダビデに人気が出ると、そのことにも嫉妬する気弱なサウルは、いよいよペリシテ軍が総攻撃を加えて来ようとしている難局で、どうしてよいか迷います。そして、自らが追放した口寄せに託宣を求めようとするほどに切羽詰った様子がうかがわれます。
 口寄せや魔術師に頼ることは厳しく禁じられていました(レビ19・31、20・6、27、申命記18・10〜14など参照)。頼るべきものは神の身であって、人の言葉を偶像化する口寄せや魔術師に頼ることは、最も単純な神への反逆になるから死刑とされていたのです。しかし、「溺れる者、藁をも掴む」という状態のサウルは、なりふりかまっていられませんでした。エン・ドルに口寄せのできる女がいると聞いたサウルは、危険をもかえりみず敵地を迂回し、変装して腹心の二人の兵と共に彼女を尋ねます。
 結果、彼はサムエルに(死の世界から?)、翌日、一家全滅になると知らされ、卒倒してしまいます。この口寄せの女は、肥えた子牛の料理を食べさせ、元気をつけさせて、サウルを帰します。パーカーという注解者は、「刑の執行前夜に、ステーキとシャンパンで食事をする死刑囚のように」と書き、山折哲雄教授は、「それが、サウルにとっての『最後の晩餐』となった」と書いています。
 この弱いサウルの姿に、私たちは同情を禁じ得ないのですが、所詮、頼るべき方は、神以外にはいない、ということをサムエル記の著者は主張したかったのでしょうか。歴代志上の著者は、「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された。」(10・13、14)と締め括っています。主を見失うと、口寄せの女が「頼りになる女」に見えるのです。