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運命に弄ばれるハガル

                           (創世記161
                                            石川和夫牧師
  

 去る六月十二日の牧師就任式は七五名の参会者によって、厳粛に、かつ和やかに終ることが出来ました。三十四名に及ぶお客様も、一様に感激し、喜んでくださいました。
 特に、婦人会の皆様たちの陰のご奉仕がどれだけ式と茶話会を盛り上げたか、言葉に表わせないほどです。センスのいいテーブル・セッティングとバラエティーに富んだ軽食がどんなにお客様を満足させたことでしょう。ほんとうに、有難うございました。永山教会に赴任してよかった、というのが私の実感です。
 さて、今月の聖研ですが、アブラハムの妻サラの女奴隷ハガルに焦点を当てます。今から3,500年も前の奴隷がどんな扱いを受けたか想像に余りがあります。女主人サラにいつまでたっても子供ができないので、気丈なサラは一大決心をして、奴隷のハガルによって子供を得るように夫アブラハムに勧めます。
 ところが、ハガルが身ごもると女としての本能だと思いますが、女主人を軽んじるようになります。そこで、サラは夫アブラハムの優柔な態度がこうなったのだと彼を責めます。そして、ハガルにつらくあたったので、ハガルは荒野に逃げます。
 こういうことが二度起こります。まさに運命に弄ばれるのです。しかし、創世記の著者は、弱い立場のハガルを力づける神を強調しています。このことを味わってみようと思います。