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女性の権利の保護
 (女性に関する戒め・三)

                           (民数記531
                                            石川和夫牧師
  

「男は罪を負わない。妻は犯した罪を負う。」(民数記5・31)
 現在の感覚からすれば、なんと男性中心の規則か、と思われます。妻に姦淫の疑いのある場合の規定なのですが、妻にそのようなすきを与えたという点では、男性にも責任があるように思います。どうして、こんなに男性優位の規則が作られていたのでしょうか?
 一つは、エジプト脱出後のイスラエル民族が子孫を増やして、強大な民族になりたい、という願望が強かったのではないでしょうか? 
 あるいは、新興国としては、軍事力、労働力が無限に必要だったから、男性が大事にされたのかもしれません。もっとも、本当の意味で男女同権は、ここ10年くらいに実現しているのですから、三千年も昔には、ごく当たり前のことだったのかも知れません。
 「家名の存続」についての規定(申命記25・5〜10)を見ても、子孫を増やすことがどんなに大切にされていたかが分かります。「もし彼が、『わたしは彼女をめとりたくない』と言い張るならば、義理の姉妹は、長老たちの前で彼に近づいて、彼の靴をその足から脱がせ、その顔に唾を吐き、彼に答えて、『自分の兄弟の家を興さない者はこのようにされる』と言うべきである。」(25・8、9)という規定には、女性の強さが認められています。
 ユダの嫁タマルの執念(創世記38章)の物語も、この規定が背後にあったことを知れば、うなずけます。やはり当時としては、女性の権利を認めていた、と言えるのでしょうか。