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むごいいけにえ、エフタの娘
(士師記11・1〜40)

                                             石川和夫牧師
  

「ギレアドの人エフタは、勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアド人である。」
   (士師記11・1)
 ギレアドというのは、地名でもあり、部族名でもあり、個人名でもありました。旧約時代には、よくあることです。ヨルダン川の東側、アンモンの北の地域をギレアドと呼んでいます。しかし、エフタの父、ギレアドの妻に息子が生まれ、成人すると、どこにでもあるように、遊女の子は、相続から外されるのです。もちろん、今の日本国憲法では、許されませんが……。こうして彼はギレアドの東北のドブの地に逃れて暮らし、ならず者たちと一緒に強い武装勢力となります。 
 ところが、アンモンが攻めて来たので、彼が指揮官となるように、長老たちから要請されます。結局、彼は指揮官として、アンモンと戦い、勝利を収めます。彼は出陣の前に、勝利を収めて帰って来たとき、一番先に迎えに出た者を焼き尽くす献げ物とすることを主に誓っていました。これは本来、禁じられていたことでした(レビ18・21、申命12・31など)。
 大喜びで真っ先に、鼓を打ち鳴らし、躍りながら迎えに出たのは、彼の一人娘だったのです。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。」(35節)と言って嘆き悲しみますが、すべて、あとの祭りでした。
 イエス様も誓ってはならないと教えられました(マタイ5・34〜36)。彼は、生まれた環境から、「突っ張って」生きざるをえなかったのでしょうが、つい神様の前にも「突っ張って」しまったのでしょうか。むごい話です。