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の び の び 講 座 一 3 「天のプロデューサー」                                                 石川和夫牧師   
◆人間だけが神を意識する
人類の歴史の中で、「神」を意識し始めたのは、 いつの頃からであろうか?死人を葬ることを始めた頃からだろうという説がある。大雑把に言って、約1万年前ころ、つまり、文明の発生と同時 のようである。
それまでは、人間も自然の生き物 のひとつに過ぎなかった。どちらが人間にとって幸せだったかは、簡単に言い切ることはむつか しい。なぜなら、文明の歴史は、芸術、文化を生 み出す一方で、戦争と差別の歴史でもあったの だから。
聖書の民の歴史においては、すでに、神々が 存在していた。王は、自分を神に等しいものと自 覚し、人にもその認識を押し付けようとした。そ の痕跡は、無数に残っている。エジプトのピラミツ ドやスフインクスなどがその典型である。
しかし、聖書の民は、天地創造の唯一の神に気づいた。いわゆる唯一神信仰の発生である。
これが、後の唯一神宗教のユダヤ教、キリスト教、 イスラム教となる。この三大唯一神宗教が相互に他を排除して熾烈な戦いを続けて今日に至っ ている。
21世紀に入って、唯一神信仰の限界が主張されるゆえんである。どこが間違ったのであ ろうか?
人間の特性
 @ 人間は死を怖れる←「命」の限界(創世 記2:9)→神の領域
   人間は時間を数えることかできる…過去、現在、 未来→死  「いつ?」→不安
 A 人間は比べることができる←「善悪の知識」 (創世記2:9)→神の領域
   
「なぜ?」(自分だけが…)→迷い、動揺
   納得できない原因、原因が分からない→たたり→宗教の発生(たたりをなだめる)
   不条理、(原因' 結果の追求)
   不条理の原因を探ることから「神」の存在を考えるようになったのではないか?
   誰かが祟っている?見えない「霊」?
   それが、太陽、月、大木、山々、など人間の手の届きにくいものが拝む対象とされ、祟 りをなだめる
   ことから各種の「祭り」か生まれてきた。
   「因果応報」…善因善果、悪因悪果、因果律(科学的思考)
   人間の価値判断に基づいて生まれたのが 「神々」→偶像
   
人あるがゆえに神あり
   人間が作り出したもの人間の欲求、期 待にこたえる(結果は、五分五分)
   
「いつ?」(未来への不安、死の恐れ)
   いつしか、時を数えることを覚えた。そのことが未来への不安を生み出す。
   人によって死ぬ ときが異なることに疑問を抱く。いつ、自分に死が訪れるか?
   なぜ、ある人は、早く死に、ある人は長生きする。長生きが幸せと思い込むよ うになる。

◆すべての根源としての神の発 見……アブラハム(イスラエル)
しかし、イスラエルの祖先は、逆転の発想をする。すべての根源としての神がおられることに気づく。
「初めに神は天地を創造された」(創世記1:1)
神あるがゆえに人あり……発想の転換 人間のみが意識する「時間」と「空間」の根源と しての神がおられる。その神は、意地悪な方で はなくて、愛してくださる方だ、ということに。
 
@時間…永遠→「歴史の主」 (人格的時間)
  時間の支配者としての神
(時が解決する、時の審判に委ねる)

  「山々が生まれる前から
  大地が、人の世が、生み出される前から
  世々とこしえに、あなたは神。
  あなたは人を塵に返し 『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」 (詩篇90:2、3)

  「運命」(人間中心)→あきらめ→冷たい
  「摂理」(神中心)→希望→暖かい
 
A空間…存在
  存在の意味と目的を知っておられる方。
  存在の支配者としての神 (なぜ、いるのか?あるのか?)

  「神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。
  主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。
  白髪になってもなお実を結び命に溢れ、いきいきとし述べ伝えるでしよう
  わたしの岩と頼む主は正しい方
  御もとには不正がない、と。」 (詩編92:13〜16)

◆天のプロデューサーとしての神
  プロデューサーの仕事→企画、準備、手配、
  交渉……お善立て
最高のパフオーマンスを実現するため
 @創造者

  意味と目的を知っておられる(人間に今すぐ分かるとは限らない)
  創造の究極的な完成の時→「終末」(完成と発表の時)
  すべてに決着→「最後の審判」
  被造者は、絶対に神にはなれない→神と人間との決定的断絶
  無意味に造られたものは、ひとつも無い。人間も自然も!
 
A全能者
  「全能」ということは、何でも出来る、ということだが、
  善でも悪でも何でも出来る、という ことではない。
  愛において全能→愛において絶対に間違 いはなさらない
  愛を伝えるために何でもなさる⇒
「三位一体の神」 (三位一体」については、後に学ぶ)
  愛(祝福)を伝えるために、人を選ばれた。
  イスラエルの選び(祝福の伝達者)
  (イスラエルの3つの意味 1、ヤコブの別名 2、民族の固有名詞 3、神に選ばれた民の代名詞 )
  しかし、古し、イスラエルは、その目的と手段を混同して使命を果たせなかった。
  
自ら人となられた(イエス・キリスト)(へブライ人への手紙1:1)
  こうして、選ばれた民の意味と目的を再び明確に示された。
  イエス・キリストが神を知る窓□→キリスト教信仰
  
天地創造は、救いの創造
  
  ノアの箱舟の物語の現代的意義(創世記1章〜9章)
  神は御自分にかたどって人を創造された。 男と女に創造された。
  神は彼らを祝福して言われた。
  「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
  海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支 配せよ。」(創世記1:27,28)
  神はお造りになったすべてのものをご覧になっ た。
  見よ、それは極めて良かった。(1:31)
  神 は、完全に良く地上のあらゆるものをお造りに なったにもかかわらず、
  この地は神の前に堕落し、不法に満ちてぃた。
  神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すベて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
  神はノアに言われた。
  「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。
  彼らのゆえに不法が地に満ちている。
  見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
  あなたはゴフエルの木の箱舟を造りなさい。」 (6:.11?14)
  こうして、ノアの一家は、動物をひとつがいづつと共に箱舟で難を逃れる。
  長い洪水の末に、 あらゆるものが滅ぼされた後、地が乾くとノア は祭壇を作って神を礼拝した。
  神はノアとその息子たちを祝福して言われた。
  「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」(9:1)
  続いて、神はノアと契約を結ばれた。
   「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫 と、契約を立てる。
  あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、
  箱舟から出るすてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
  私があなたたちと契約を立てたならば、
  二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
  洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」(9:8〜11)
  神が滅ぼされることは、再創造の始まりでもあった。
  そして、神は、神に応答する者(神の民)を通して、人間と自然を保護することを約束された。
  ノアは全人類の代表(10章のノアの系図は、
  ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトが当時の地中海世界の全民族を表わしている) 
  だから。
愛の布石……神はすべてのことを益として くださる(口ーマの信徒への手紙8:28)
  今すぐ分からなくても、後になって意味か分かるようになる
  「失敗すれば、それだけ賢くなるのよ」(ある母親の言葉)
  「呪われるべき過去」はなくなる

 
B父
  ・審判者正邪善悪の結論を下す→人間が最終的結論をしてはならない
   人生に決定的不幸はありえないし、人間が人間に対し断定してはいけない
   ファジー(曖昧さ)の受容
  ・保護者
   「主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる」 (謙扁 91:11)
  ・訓練者
   挫折、失敗→父による訓練
   「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。
   神は、あなたがたを子として取り扱っておられ ます。」(へブライ人への手紙1:27)
   
わたしたちは、キリストにおいて神の子とされている!
   「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエ スに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤ3: 26)
   「あなたがたが子であることは、
   神が『アッバ、父 よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送って くださった事実から分かります。
   ですから、あな たがたはもはや(罪の)奴隸ではなく、子です。
   子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。」(ガラテヤ4: 6,7)

使徒信条解説一3
わたしはそのひとリ子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
イエス・キリストをどなたと言じているかの表明です。
そのひとり子 神が人となられた、ということで'す。ここが、キリスト教信仰のポイントになります。
これまでにも、自分こそ神だと主張した人は。無数にいました。
今でもオウムの人たちは、教祖を一種の神と信じています。
信仰には、どうしても ある種の賭けの部分があります。
私は、福音書に書かれてしヽるイエスの言葉や行動から、これは、どうしても人が神と なられた方で'しか出来ないと認識したので、信じたのです。ここで詳しくそのことを述べる余裕がありませんが、一人 一人が自分自身で、そうだと確認!することが大事です。
わたしたちの主 自分にとってのたた一人の救い主、ということです。
この方によって自分が救われ、この方がいつも見守り、助けて くたさる、と信じることです。
それには、出来るたけ福音書をよく読んで、イエスに接する機会を多く持つようにしな ければならないでしよう。
イエスが神であると共に人なのた、という信仰は、たた教えられたことを鵜呑みにすること によっては生まれません。
もうひとつは、自分で祈ることが必要です。つまり、イエスと語り合う経験を深めることです。
イエス・キリスト イエスは、当時ごくありふれた名前です。
神が共におられる、という意味です。
キリストとは、ヘブル語のマーシア ツッハ、通称メシアのギリシア語訳で、救世主、神を意味します。
イエス・キリストというとき、イエスがキリストです、 ということを告白することになります。
ブッシュ大統領といえば、ブッシュさんが大統領た、ということを表わしているのと同じです。
だから、単なる固有名詞とは異なるのです。