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 「神がそうなさる」

 石川 和夫牧師

 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに

与えてくださったのと同じ賜物を、

神が彼らにもお与えになったのなら、

わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。

(使徒言行録一一・一七)

 「わたしたちの神、父であり母である神は比較なさらない、決して。しかし、それが真実だと頭では知っていても、わたしの全存在でそれをまるごと受け入れるのは、いまもって非常に困難だ。」(ヘンリ・ナウエン「放蕩息子の帰郷」―父の家に立ち返る物語―、あめんどう、二〇〇三年五月二〇日、初版、一四四頁)

 一九九六年に六四歳で亡くなられたヘンリ・ナウエン神父の言葉です。カナダ、デイブレイクにある知恵遅れの人たちのための施設、ラルシュ共同体で牧者として働かれた方です。

 「わたしの育った世界は、あまりに等級、点数、統計があふれているので、意識すると否とに関係なく、つねに他人を自分の物差しで測ろうとする。わたしの人生の多くの悲しみや喜びは、比較することから生じたものだ。全部ではないにしろ、そのほとんどは無益で、時間とエネルギーのたいへんな喪失だった。」(前掲書、一四四頁)

 私も子ども時代は、中国や朝鮮半島の人たちを徹底してバカににするという雰囲気の中で育ちましたから、その感覚が体に染み付いていて、今でも彼らを見るときには、努力して打ち消さないと対等な関係に自分がいないことを認めざるを得ません。

 今日のテキストは、使徒言行録一一章四節から一八節です。ここは、厳密に言うと、一〇章からの続きです。カイサリアという地中海岸の町がありました。イエスの生まれる前にヘロデ大王がローマ皇帝(カイサル)にゴマをすって建てた町で、今でも当時の野外音楽堂が残っていて演奏会が催されます、そこは、ローマの駐屯軍の基地でもありました。

 この町にコルネリウスというイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長がいました。いわゆる異邦人だったのに信仰心があつく、一家揃って神を畏れ、貧しいユダヤ人たちに多くの施しをして、人望がありました。

 彼が祈りのうちに、カイサリヤから五〇キロほど南の港町ヤッファにいるペトロを招いて話を聞くように示されます。ヤッファは、現在のテルアビブに隣接した港町で、今はレジャー用ボートや漁船のための小さな港に過ぎませんが、当時は、貿易港として活気を呈していました。

 その頃、ペトロはヤッファの皮なめし職人シモンの家に滞在していて、ちょうどお昼に空腹を覚えたときに、屋上で不思議な幻を見ます。

 当時の信仰深いユダヤ人なら食べることを禁じられている獣や鳥を食べろと神に命じられるのですが、ペトロは当然従いません。ところが「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」と言われるのです。同じ幻を三度も見て、彼はどうしたことだといぶかっているところへコルネリウスからの使いが訪れたのです。

 こうして、ペトロは翌日、ヤッファにいた信者何人かと共にカイサリヤに出かけ、コルネリウスたち一同に説教をすると、彼らに聖霊が降り、異言を語り、神を賛美しました。ペトロは彼らにバプテスマ(洗礼)を受けるように勧めて帰ります。

 この出来事がエルサレムにいる使徒たちに伝わりますが、彼らは異邦人が悔改めて聖霊の賜物を受けたことを喜ぶのではなく、ペトロが異邦人と食事を共にしたことを問題にしたのです。

 自分へのこだわり

 イエスの復活を信じて生まれ変わったと言ってもやはり昔からの差別的な感覚は、消えてはいなかったのです。今日のテキストは、この人たちに対する弁明です。その結論がこの一節です。

 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと

同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、

わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。

(使徒言行録一一・一七)

 これが信仰者の大事な姿です。自分の考え、判断基準が中心になるのではなくて、「神がそうなさる」ことをまず、受け止める。自分に納得がいかなくても、「神がそうなさる」ことに一目を置く、自分の判断に固執しない、自分のこだわりを突き放してみる、これが信仰です。

 使徒言行録では、これを機に異邦人伝道が強力に進められた、とペトロの大きな影響力を示すのですが、そのペトロもパウロに公然と非難されています。

 「さて、ケファ(ペトロの通称)がアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐに歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。』」(ガラテヤの信徒への手紙二章一一〜一四節)

 ペトロも使徒言行録では、素晴らしい指導者として伝えられていますが、パウロから見れば、自己矛盾を抱えた弱い一人の人間でした。使徒言行録では、堂々と説教をし、奇跡的な癒しを行ったペトロも一方では、完璧ではない、弱さをもった普通の人だということで、何かほっとします。

 私も自分の五〇年近くの伝道者生活をふりかえってみると多くの恵まれた経験と同じくらいの間違いや失敗があったことを思い起こさないではいられません。言っていることとしていることが違うというような自己矛盾もしばしば経験しました。でも、そのような私が神に生かされ、用いられてきたと痛感させられています。

 神の愛のまなざしで

 キリストにある交わり、教会は、「神がそうなさる」と受け止める交わりです。礼拝は、神と神の民の会見と言われますが、具体的なことで言えば、自分の一週間の歩みが、「神がそうなさる」と受け止めるように自分の思い、判断を切り替えるときなのです。

 礼拝の前奏の間に、自分が主人公だったことを悔改めて、実は、「神がそうなさった」のだと切り替えます。自分がずいぶん我慢してきたつもりだったが、実は、人に我慢してもらったことのほうがずっと多かった、してあげてきたつもりが、実は、してもらったことのほうが多かった、と認める、気づく時です。こうして、自分へのこだわりから解放されていくのです。

 しかし、週日の歩みに入ると、何時の間にかまた自分が主人公になっている、同じことを繰り返します。だから、礼拝の時が必要なのです。

 今日の主日の主題は、「すべての人に対する教会の働き」です。その根底は、神がすべての人を比較なさらないで受け入れていてくださる、ということにあります。ナウエン神父の言葉を紹介しましょう。

  「しかし、もしわたしが神の愛のまなざしをもって世界を見ることができたら、そして神の見方は、よくある地主や家長のようではなく、どれほどうまく行動したかに応じて子を愛する父のものでもなく、すべてを与え、すべてを赦す父の見方であることに気づけば、わたしの本心からの反応は、ただただ、深い感謝でしかあり得ない。」(前掲書、一四六頁)

  (二〇〇三年七月一三日聖霊降臨節第六主日、第二礼拝の説教要旨)