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「八方づまりの只中で」

石川和夫牧師

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。

(ルカによる福音書、一・四七)

 今日の週報の表紙をご覧ください。インドのアルフォンソ・ダスという人のお書きになった「告知」という題の絵です。私たちのこれまで見てきた「告知」の絵は、天使がマリアに語りかけ、それに対して素直に従う従順なマリアという印象が強いのですが、この絵では、クリスマスにしては、ずいぶん暗いなあ、という印象を持たれたかも知れません。クリスマスだから、緑や赤があってもよさそうです。

 この絵のマリアの表情には、ただの従順というだけではなくて、多少の戸惑いと不安が秘められている感じがします。今日のテキストのすぐ前に、つまり、一章二六節から三八節にその経過が書かれています。

 彼女は、ヨセフと婚約中に聖霊によって神の子を宿すことになる、という告知を受けるのです。これに対して、マリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」とこたえます(三八節)。

 この告白は、聖霊が助けて言わしめている、というのがルカによる福音書の解釈のようです。なぜならば、神が人となられる、ということは誰も想像できなかったし、見たことも聞いたこともなかった、ましてや、マリアがヨセフと婚約中に父親の分からない子を宿すということは、現象としては姦淫以外のなにものでもない。聖霊が妊娠させたのだと言っても誰が信じるでしょうか。頭がおかしくなったと解釈されるのが関の山です。

 彼女のお腹が次第に大きくなると、世間の冷たい目の中を生きなければならなくなったと思います。冷たい目だけではなく、身の危険すら覚えたと考えていいと思われます。当時のイスラエルでは、姦淫の現行犯は、みんなで石で打ち殺していいということになっていましたから。彼女は、石でいつ打ち殺されるかも分からないという恐れを持ちながら生きていかなければならなかったのです。

 もっと深刻な恐れは、婚約者のヨセフが理解してくれるか、ということでした。これも聖書によれば、聖霊がヨセフの夢の中で理解させてくださって、ヨセフが協力者になりました。マリアは、そのことによって、非常に力づけられたと思います。。

 しかし、ヨセフが理解してくれるようになったとはいえ、彼女の歩みは、八方ふさがりの只中にあったことに変わりはありませんでした。

 「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。」

(一章三九節)

 この「ユダの町」とは、アン・カレム(ぶどうの園の泉)だったと言われています。この町に、ヨハネ生誕教会が建っています。ここで、バプテスマのヨハネが生まれたからです。

 「そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。」(四〇節)

 エリザベトは、マリアの親戚ですが、もうかなりの年配でした。ずっと子宝に恵まれていませんでした。ごく最近でこそ、変わってきましたが、つい最近まで、不妊は女性の側の問題と受け止められていました。だから、当時の価値観では、子供を生めないということは、神様からの呪いがあるからだ、つまり、よほど罪深い、と考えられていましたから、エリサベトも長い間、差別的な目にさらされて生きてきたのです。

 しかし、このエリサベトも聖霊によって身ごもって、男の子を産むのです。名前をヨハネといいます。イエス様の伝道の道備えをしたバプテスマのヨハネです。このヨハネも奇跡的な誕生をした、というわけです。そのエリサベトに挨拶をしたのです。

 跳びはねるほどの喜びは、何故?

 「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。」(四一節)

  この「おどった」という言葉のもともとの意味は、「跳びはねた」という意味です。うれしくて跳びはねたのです。四四節にも、「胎内の子は喜んでおどりました」とありますし、四七節のいわゆる「マリアの讃歌」には、「神を喜びたたえます」とあります。ここで注目していただきたいことは、状況が八方ふさがりの只中で、喜んでいる、ということです。

 ここに、聖書が示す大事な、大事な信仰が表現されています。普通の宗教では、問題が解決して、ご本尊様のご利益だ、と喜ぶのです。しかし、マリアにとっても、エリサベトにとっても状況は全く変わっていないのです。相変わらず八方詰まりのままです。それなのに、「喜びおどる」。

 神の約束は必ず実現すると信じる

 それは、四五節の

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

という言葉が説明してくれています。信仰というのは、目の前に何かが現れて信じるのではなくて、現れてはいないけれど「主はおっしゃったことは必ず実現する」と信じるのが、信仰ということなのです。ヘブライ人への手紙にあるとおり、「信仰とは、望んでいることを確信し、見えない事実を確認することです。」(一一・一)しかも、そのことにおいてゆるがない。なぜならば、神が約束されたことだから。

 今日も詩篇を交読しましたが、詩篇の中でも最も多くの人に知られているのが、二三編です。

 

 「主はわれをみどりの野にふさせ、

 いこいの汀にともない給う。

 主はわが魂を活かし、御名のゆえをもて、

 我を正しき道にみちびき給う。

 たといわれ死の陰の谷をあゆむとも、

 わざわいを恐れじ、

なんじ我を共にいませばなり。

なんじの笞(しもと)、なんじの杖、

我を慰む。

汝、わが仇の前に、わがために宴をもうけ、

わが頭(こうべ)に油をそそぎ給う。

わが杯はあふれるばかりなり。

わが世にあらんかぎりは、

かならず恵みと憐れみと我にそいきたらん。

われはとこしえに主の宮に住まん。」

 この歌を歌ったのは、ダビデ王。だと言われているのですが、彼が隆盛を極めたときではなく、一番惨めだったときに歌われたものと思われます。

 この詩篇二三編について、フェリス女学院大学の院長をしておられる小塩節先生が一九七七年に出版された「朝の光の指すとき」という随筆集の中で、この二三編が大好きな詩篇だと言われて、その後にこう述べられておられます。

 「そうなのだ。今、詩人の前には、みどりの野も憩いの汀もない。石ころだけが転がる死の陰の谷にさまよっているのだ。それだけではない。『仇』である敵の大軍が来襲しようとしているのに、食糧もなく、水もなく、挙げる酒杯もない。そういった現状である。

おそらくこの詩の作者ダビデは、実子アブサロムに王座を追われ、かつて『山々に向かいてわれ目をあぐ』と古人がうたったあの荒涼とした谷間に追いこまれ、絶望的な目で陰惨な裸の赤茶けた山を見上げながら、敵襲の前夜に、葦笛に合わせて歌ったのであろう。」(同書四一頁)

今私たちは、連日のように、あのアフガンの赤茶けた山地の映像を目にしています。ダビデが逃げた山地もそれに似ているように思います。洞窟が多く、聳え立つ山々。

「われ山に向いて目をあぐ」という山々は、日本語の讃美歌で有名な「山辺に向かいてわれ 目をあぐ」で「山辺」というのと決定的に違います。「山」と言うのと、「山辺」とでは、意味が決定的に違ってしまいます。「山辺」というのは、山のすそ、です。そのすそに自分がいるというのと「山」にむかい、ということの違いです。

「山辺」というとき、山と自分の一体感をしめしています。本来の詩篇の「山」は、人間を拒絶しています。山と人間は、断絶している。人を寄せつけない。あのアフガンの山々のように。峨々たる山々なのです。その山の谷間に追われて、大変な孤独感と絶望感に襲われている。その中で、ダビデが歌っているのです。

小塩先生は、続けています、「敗残の兵は疲れ、食わせる糧秣ももう無い。砂漠に飲む水もない。思えば、自分の人生には、神の前に目をあげることもかなわぬ汚点がいくつも、いくつもある。その総決算が、実子の反乱ではないか。なんという無残な人生であろう。そしてなんという、慰めのない死の陰の谷間であることだろう。この人生とは。」(同書四一頁)

ダビデは、そういう心境でいたに違いないと思います。

神我らと共にいます

「ダビデが自分の人生のありのままの相(すがた)を、死の陰の谷だとはじめて認め、おのれの罪に座す姿を見つめてそのままを神に見ていただこうとしたとき、そのとき、神は彼と共におられた。今までになかったことだった。インマヌエル、神ともにいます。その事実が彼の目の前の暗黒の死の砂漠を、みどりの野に変貌させた。慰めと憩いと光が彼をみたした。なぜなら、彼の住む家は地上の王宮ではなく、国籍の記されている天の家であるとわかったからだ。」(同書四二頁)

「たとえ死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れじ。なんじ我と共にいませばなり」。約束しておられる神が 常に共におられる、そのことに、すべてを賭ける、そこから八方づまりが緑の野に変えられるというのが、ダビデの信仰です。

マリアとアリサベツの賛歌も同じことだと思います。状況が変わっているわけではない。だけど、神我らと共にいます。クリスマスのとっても大事な意味は、神がイエスと名づけなさいと命じられた方が生まれた。つまり「イエス」という名の意味は「神我らと共にいます」ということ、それは、神が常に「我らと共にいます」というお約束に他ならなかったのです。

   (二〇〇一年一二月二三日、クリスマス特別礼拝、第二礼拝の説教要旨)