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「神は人よりも強い」

 石川和夫

『あの方は死者の中から復活された。

そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』

(マタイによる福音書二八・七)

 「復活節のメッセージが春の太陽とするなれば、そのメッセージを聞いた魂は、春の新芽である。しかし、復活節は、春がもたらすものではなく、二千年前に起こった、一つの歴史的な事件がもたらしたものである。」

一九七〇年代の韓国民主化運動の指導者の一人、アン・ピョンム牧師の言葉です。その歴史的事件の背景について、アン牧師は次のように述べています。

 「人類の歴史にも、長い氷河期があった。その時も太陽がなかったわけではない。しかし、まだ歴史の春は来ていなかった。その時、人類の歴史においては、物理的な勢力が即絶対的な真理であるかのように、すべてのものを支配していた。しかしながら、そのときでも、物理的な力だけがすべてであるとは考えられていなかった。その当時ですら、体は死んでも、精神は死ぬことはないと思われていたのであり、その物理的な力の上に、神が存在すると考えられた。しかし、冬は続いた。この冬は永遠不変である、霊魂不滅であるといった思弁の類で持ちこたえられた。その最後の武器は死であった。この死は、善や悪、義や不義、真理や虚偽を区別することなく終局と見られた。いかなる真理を語る口であれ、いかなる善を行う手であれ、死の前にあっては、虚偽を語る口や、悪を行う手と全く同じように、それで終りだという点では同様であった。真理は必ず勝つとか、事必帰正とかいったことも、この死の前では、すべて虚言であった。この歴史においては、死しても彼岸においては永生するという説教もまた、一様に卑怯な逃避に過ぎない。このようなとき、イエスがこの世にやって来たのである。」(新教出版社、新教新書二一八、アン・ピョンム「現存する神」一九八五年七月三一日、第一刷、七六、七七頁)

 イエスのいないところでは、今も同じです。結局、力、力が物言います。残念ですが、キリスト教会においてもある程度当てはまっているようです。イエスが力の象徴になっている信仰がそうです。イエスは死んでも死なない、フェニックスのようなキリストであると信じる信仰がそうです。現代のアメリカの為政者たちが信じているキリスト教は、そのように見えて仕方ありません。イエスは死んだが、それで一巻の終わりではなく、復活というどんでんがえしがあった、と言うことではないのです。

 

神は死んだのか?

神が全能ならば、どうして悪が栄え、不当に苦しみに陥らざるを得ない人々が世に満ちているのか、と「神は死んだ」と宣言する人たちがいます。アン牧師は、こう言っています。

 「この世に不義と悪党が乱舞しても、神が全く介入しないとき、われわれは、『おまえたちの神はどこにいますのか』という問いに、どう答えるのだろうか。他人に答えることが問題である前に、自身の信仰の基盤が崩れることこそが問題である。」(前掲書九二頁)

 「神殿を打ち壊し、三日で建てる者、神の子なら、

自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ二七・四〇)

 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。

今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう。

神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。

『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」

(マタイ二七・四二、四三)

 当時も現代も神の全能についての「信仰者」の認識は共通しています。そして、それは、強いキリストを信じているキリスト教に対する深刻で、厳しい問いでもあるのです。

 しかし、人々がこのように認識していることが自明なのに、なぜ、福音書の著者は、あえて無力な「神の子」の姿を描いたのでしょうか?

 「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、

それも十字架の死に至るまで従順でした。」

(フィリピの信徒への手紙二・六〜八)

 これは、原始教会の礼拝における告白文です。十字架上で処刑されたナザレのイエスは、神と同じ本質、否、神であった。その神がご自分の全能を放棄し、自分を無にして人間となられた、と言うのです。当時の聖なる方は、俗なるものから超越している、というヘブライ思想(ヘブライズム)でも、霊が善で肉が悪とするグノーシス主義的ヘレニズムでも全く考えられない告白でした。

このことをアン牧師は「〈全能者〉の自己放棄」と呼んでいます。(前掲書九九頁)また、次のようにも言っています。

「自分を棄てる神! 自分を人間に切り下げ、人間の領域の中に入って来られ、人間の苦難の中に自身を任せる神! これは、新約において啓示された、新しい神の姿である。」(同一〇一頁)

「人間には到底神を理解するすべなど無い。したがって、神自身が、人間の認識圏内に入って来ることによってはじめて、神に接近する道が開かれるのである。この告白こそが、受肉の信仰である。」(同一〇二頁)

「人間が会い、見ることのできる神は、まさに〈今ここに〉のみあるということの答えである。」(同一〇三頁)

「聖書の神は、まさに苦難と不義の現場において苦難を受ける人間と共にあるがゆえに、〈全能〉でありえない反面、まさに自身を捨てるその行為自体が全能の絶頂であるといえよう。」(同一〇八頁)

人間の持っている善悪の価値観、強いこと、成功すること、美しいことが良いことで、弱いこと、失敗すること、醜いことが悪いことという考え方が真っ向から否定されています。原始教会は、「善悪の知識」の木から食べたアダムの罪が、イエスの十字架の死と復活によって、無に帰したことを宣言したかったのです。

私はあなたのもの

「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。

そこでお目にかかれる。」

(マタイ二八・七)

空の墓で、墓を見に来た婦人たちに語った天使の言葉です。「ガリラヤ」とは、ヨハネによる福音書で、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言った(一・四六)、あのガリラヤです。当時のエルサレム周辺の人々は、ガリラヤが自分たちの信仰に忠実で、善良な人々の住まうエルサレムに比して、辺境の地で、無学で、無教養で、貧困な、いわゆる流浪の人々の溜まり場、政権転覆を図るテトリストの潜伏している危険な地域、と認識していました。また、弟子たちの生活の場でもありました。そのガリラヤで復活のイエスが先に行って、待って折られる、と言うのです。

「そこでお目にかかれる」

そうです。私たちの「今ここで」イエスにお目にかかれるのです。しかも、どんな場合でも。

私は何者なのか? 彼らはよく私に言う

私が独房から姿を現すときは

悠揚と晴れやかに、足どりもたしかに

まるで自分の館から出てくる領主のようだと

私は何者なのか? 彼らはよく私に言う

私が自分の看守たちと語る姿は

わだかまりもなく、親しげで明るく

まるで指示でも与えているようだと

私は何者なのか? 彼らは私にこうも言う

私は沈着に微笑をたたえ、誇らかに

不運の日々に耐えている

まるで勝利に慣れている者のようにと

私ははたして彼らの言うような人間だろうか?

それともただ自分だけが知る自分なのであろうか

不安げに、切ない思いを抱き、籠の鳥のように病み

喉を締められているかのように空気を求め

色彩に、花に、小鳥の声に飢え

嬉しい言葉、優しい人々の気配にかつえ

気まぐれや些細な非礼にも神経をとがらせ

大いなる事を期待して胸をこがし

遥か彼方の友人たちをかいもなく案じ

疲れはて、祈り、思索し、創作することも能わず

すべてとの別れを予感し、うちしおれている?

私は何者なのか? 後者それとも前者?

今日は後者、明日は前者というのか?

あるいは同時にこの両方なのか?

独りになれば腰抜けのあわれな弱虫?

それとも私のうちに残っているものは、

獲得された勝利の前に四散する敗残の群れと同じか?

私は何者なのか? 孤独な自問が私を嘲笑う

私が何者だろうと、あなたはご存じ、私はあなたのもの、ああ神よ

一九四五年四月九日早朝、三九歳の若さでナチスによって処刑されたボンヘッファー牧師の獄中での作品の一つです。ナチズムに対する毅然とした抵抗者のイメージを私たちは持っているのですが、ここには人間ディートリッヒ・ボンヘッファーの赤裸々な告白が述べられています。

 私は、この詩を読んで、何かほっとするものを感じました。復活のキリストに出会うために英雄でなくて凡人のままでいいのです。成功したか、失敗したか、は永遠の命にとって全く係わりがありません。

しかし、最後の「私が何者であろうと、あなたはご存じ、私はあなたのもの、ああ神よ」 これです。十字架にまで降ってくださった神が、確実に、共にいてくださる。「神は、まさに苦難と不義の現場において苦難を受ける人間と共にあるがゆえに」私たちは神のものなのです。だから、誰も神の命を奪うことは出来ません。どんなに人が力強くても神に勝つことは出来ないのです。

ボンヘッファーの終りと始まり

 一九三五年三月、デュッセルドルフ近郊のバルメンで、K・バルトの草案になる「バルメン宣言」が発表されます。聖書の証言するイエス・キリストのみが、信頼し従わねばならぬ神の唯一の言葉として、これ以外の啓示だとか、独裁政治に反対して、教会の秩序の独自性、政治支配からの独立性を宣言したものでした。続くダーレムにおける第二回告白大会では、独自の神学校を設置して、信仰のみならず制度も国家権力から独立させるという決議がなされ、告白教会の牧師養成のための牧師補研修所が開かれ、その教授の一人としてロンドンのドイツ人教会の牧師をしていたボンヘッファーが招かれました。

しかし、ナチ政権が座視するはずはありませんでした。牧師の逮捕、集会・発言の禁止、出版物の押収など告白教会に対する弾圧が強化されます。彼は、一九三九年に、一旦アメリアに難を逃れますが、思い直して帰国、国防軍内の抵抗派に近づき、ヒットラー暗殺計画に参画します。

これが発覚して、四三年四月、ゲシュタポに逮捕され、ベルリンのテーゲル刑務所に拘留されます。四四年七月のヒットラー暗殺計画は失敗に終わりました。各地の刑務所を転々とした挙句、南ドイツのフロッセンビュルク強制収容所に移され、死刑を執行されることになりましたが、手違いで別のシェーンベルクに着きます。四五年四月八日、復活節第一主日、そこで礼拝の司式をし、最後の主日礼拝を守りました。後の証言によると、この礼拝で捧げた彼の祈りは人々の胸を深くえぐったと言われています。この礼拝が終わったとき、兵隊が入って来て、彼にこれからフロッセンビュルクに連行すると言い渡しました。彼は、この言葉の意味するところを直ちに悟りました。友人にチチェスターの主教ベルへの伝言を託します。これが有名なあの一言でした。

「私にとって、これがいよいよ最後です。しかしまた、これが始まりです。……私たちの勝利は確かです……」

四五年四月九日、早朝、フロッセンビュルクで形だけの軍事裁判が開かれ、死刑の判決が下され、即刻処刑されました。ヒットラーのドイツ帝国崩壊のわずか四週間前のことでした。

 「イエスの復活とは、不義なる者らによってもたらされた無念、敗北、辱しめ、苦しみの中で死んでいった彼らをよみがえらせた、最初の結実なのである。彼の復活は、死の権勢を打ち砕いた。これは、死を最後の武器として振りまわして来た権力者たちの脅威とその死の恐怖から、人間を解放したということである。彼の死が、不義なる者らの手による死であるように、彼の復活も、まさに不義なる者に踏みにじられた人々を解放した事件であった。」(前掲書八四、八五頁)

「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(ヘブライ人への手紙一一・四)

(二〇〇一年四月一五日、イースター特別礼拝の説教要旨)