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「慣れの恐ろしさ」
牧師 石川和夫 主は正義の行われていないことを見られた。 それは主の御目に悪と映った。 主は人ひとりいないのを見 執り成す人がいないのを驚かれた。 (イザヤ書五九・一五、一六) 「『この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。』このように、人々はイエスにつまずいた。」(マタイ一三・五四〜五七) 今日の福音書です。ナザレの人々はイエスについて十分知っているはずでした。いろいろなくせとか、小さい時からのエピソードもみんな知っていました。イエスには、慣れ親しんでいるはずだのに、本当のイエスは知ってはいなかった。それどころか、福音書では、「人々はイエスにつまずいた」と書いています。とんでもないことをやり、言っている奴だということになってしまった。 今日は「慣れの恐ろしさ」という主題でみことばを聞きたいのですけれども、私たちにもクリスマスについて、そのような「慣れの恐ろしさ」があるのではないでしょうか? 今日の中心聖句、イザヤ書五九章一二節以下は、このような言葉で始まっています。 「御前に、わたしたちの背きの罪は重く わたしたち自身の罪が不利な証言をする。」 これは、五八章からの続きなのです。四節から、 「見よ お前たちは断食しながら争いといさかいを起し 神に逆らって、こぶしを振るう。 お前たちが今しているような断食によっては お前たちの声が天で聞かれることはない。 そのようなものがわたしの選ぶ断食 苦行の日であろうか。 葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと それを、お前は断食と呼び 主に喜ばれる日と呼ぶのか。」 当時の人々が、いつものようにしている礼拝、敬虔な態度、それは他の人々が決していけないこととは思わなかったことだったのですが、それを神は顧みてくださらない、と言うのです。 イザヤ書の三つの時代 イザヤ書五九章は、イザヤ書全体の中では、第三イザヤに属する部分と言われています、第一イザヤ、第二イザヤに対して、第三イザヤと呼ぶのですが、これは年代の違いを示しています。 第一イザヤは、一章から、三九章まで、これを私は「不安の時代」と呼びます。紀元前七二二年に南北に分裂していた北イスラエルがアッシリアに滅ぼされてしまいます。そして多くの人々が各地に抑留、聖書の用語で言うと「捕囚」の目に遭い、首都のサマリアには、他の国々から色んな人が移住し、現地に残っている人たちと「国際結婚」を強いられます。いわゆる「サマリア人」の始まりです。 この七二二年の前後は、人々が、自分たちは神のお選びになった民だから、必ず救われると期待していたのですが、そうはならなかった。南ユダも首都エルサレムを大軍に包囲されて陥落寸前だったのですが、アッシリア本国でクーデター騒ぎがあって、急遽、大軍がアッシリアに撤退して一息つきます。そのことを聖書では、「天使が撃たれた」(列王記下一九・三五)と表現していますが、とにかく人々は、終始、不安の中を生きていましたから、「不安の時代」と呼びます。その頃、南ユダで預言していたのが、第一イザヤです。北イスラエルでは、ミカという預言者が預言していました。その記録が、「ミカ書」です。 第二イザヤの時期は、紀元前五八七年、新興国バビロニヤによって南ユダが滅ぼされます。エルサレムは完全に破壊され、指導者たちが、バビロンに抑留されます。いわゆる「バビロン捕囚」の時期。暗黒時代を迎えます。これを「絶望の時代」と呼びます。イザヤ書四〇章から五五章までです。 五六章から六六章までを第三イザヤと呼びます。今日のテキストは、この部分に属しています。この時代を私は「失望の時代」と呼びます。神も仏もあるものか、という「絶望の時代」は、次の新興国ペルシアによって終わりを告げます。ペルシア軍が突如バビロンを無血占領し、これまでに移住させられていた各国の捕囚民をそれぞれの母国に帰す、ということになったのです。 こうして、五三八年に一部の人たちがエルサレムに帰還します。四〇年もバビロンに住んで、その地での生活も軌道に乗ってすっかり落ち着いて暮らしていたのに、何もかも無くなってしまったエルサレムに帰ることを躊躇する人たちがいても不思議ではありません。この時期から、いわゆる「ディアスポラ」(離散の民)と呼ばれるユダヤ人が増えることになります。もう祖国には帰らないで、移り住んだ地に根をおろして暮らし始めたのです。 そうして、その地で「シナゴーグ」、ユダヤ教の教会を建てて、次第にその地の人々にも影響を与えるようになります。新約時代には、当時の地中海を中心にした世界各地にユダヤ教のシナゴーグがありました。使徒パウロは、そのようなシナゴーグを足場にして福音の宣教を行いましたから、あれだけ急速にキリスト教が世界宗教となれたとも言えます。 「失望」の時代 五三八年にエルサレムに帰った人たちは、困難を覚悟で帰った人たちだったのですが、彼らは、言ってみれば、バビロンで食い詰めていた人たちでもあったわけです。生活力のある人のほとんどは帰国しなかったでしょう。エルサレムの復興もそう簡単には進みませんでした。その上、居座っていたサマリア人が色々な形で復興を妨害しました。 それにめげないで、自分たちの力ではなく、「棚からボタ餅」式にエルサレムに帰って来れたのは、第二の出エジプトともいうべき奇跡だ、神様がなさったのだから、きっと昔のようにダビデ家の王国が出現知るだろう、と期待しても無理はありません。 そのために第一にするべきことは、破壊されたままの神殿を復興することだということで、五二〇年に再建に着手します。しかし、これも一時は中断を余儀なくされました。サマリア人の妨害が激しかったからです。 しかし、後から帰国したエズラが指揮して、遂に五一五年に、第二神殿が再建されました。さあ、これからだ、と張り切って神殿での礼拝を始め、独立運動を進めようととしましたが、ペルシア当局によって弾圧され、その芽も摘まれてしまいます。ただ、神殿での礼拝だけが残されました。 この時期、つまり五一五年前後に預言したのが、第三イザヤで、六一,六二、六三章が彼自身の預言で、他の部分は彼に共感した複数の預言者のものが後の時代になって、現在のような形に編集されたもの、と学者たちは見ているようです。今日のテキストは、その無名の預言者たちの預言になるわけですが、その言わんとするところは、「あなたがたの罪は深いぞ」ということです。 心の奥底に深い失望を秘めている人たちの礼拝は、祭司たちも含めて、惰性に流れざるをえなかったでしょう。自然、自己中心的な生き方になって、万事事なかれの態度、あきらめきれないけれど、他にはしようもないので、とりあえず、礼拝を守っている、という状態だったと思われます。しかし、特別に悪いことはしていないと思っていたでしょう。礼拝も一生懸命守っている、断食もしている。だけど、預言者は罪深いと指摘している。 どうしてでしょうか?五八章六節には、 「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。 悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。」 と言っています。礼拝は、まず、神さまとの縦の関係を回復することですが、そのことは、同時に横の関係、つまり、他者に仕えるということに繋がらなければいけないのです。神は、ご自分の民をお選びになったのは、世界の人々の「祝福の源」となって欲しいからなのです。だから、自分のことだけにかまけていては、神様がお喜びになるはずがない。それが「罪深い」ということなのです。五九章一六節を見ると 「主は人ひとりいないことを見られた。 それは主の御目に悪と映った。 執り成す人がいないのを驚かれた。」 とあります。神の民には、「執り成す」という使命があるのです。ぼんやり眺めているだけではいけないのです。 「ホームレス」に満ちた現代 「教師の友」一二月号の特集は、「イエスはどこに生まれたか」という主題で、そこに北九州で一〇年、ホームレス支援を続けて来られたバプテスト東八幡キリスト教会の奥田知志牧師の「ホームレス支援の現場からクリスマスを読む」という副題、「引き受けへの召し」というメッセージが掲載されています。 その中で、今年起きたバスジャック事件の容疑者の少年の母親が事件の前にある大学教授に宛てた手紙の一節を紹介しています。 「親が気づいても病院の受診がない、診察したことがないからなどと断られる。医師、児童商談所、教育センター、教育相談所など、いろいろ回りましたが、動いてくださる先生は一人もいらっしゃらない」。 この手紙について、先生は、こうおっしゃっています。 「しかしこれは同時に教会に投げかけられた手紙でもあったのではないか。確かに彼女が第一に求めたことは問題解決そのものだった。しかし、彼女はそれがいかに困難かを承知していた。文面において彼女が求めたのは『動いてくれる』存在だった。『問題を解決してくれる先生』ではない。彼女が嘆くのは、問題解決の困難さのみではなく自分のために『動いてくれる』人が『一人もいらっしゃらない』という現実であり、この世の無縁性そのものについてだったのではなかろうか。私たちは『賢く生きる』ことに奔走している。そのためには『縁切り』に長けていることが必須条件だ。無関係を装う。それこそ今日における『賢さ』の最たるものなのだ。逆に言えばすなわち、他人に関わることや無関係な事柄に心や体を動かすことは『アホ』のすることに他ならない、ということなのだ。」 そして、さらにこう言っています。 「『ホーム』。それは、私たちを支える基本的で帰属できる共同体を指す言葉なのだ。よって関係の喪失、無縁性が、すなわち『ホームレス』問題の本質となる。となると『ホームレス』とは、何も公園や駅で寝ている人々に限った問題ではなくなる。家庭崩壊、学級崩壊、地域社会の崩壊など既存の共同体や関係がことごとく崩壊する時代にあって、先述のごとく中学生のホームレスがおり、サラリーマンや『主婦』のホームレスがおり、ホームレスの老人がいる。多くの家持のホームレスが存在する。……しかし、それでも人はホームレスでは生きていけないことも事実なのだ。」 「我関せず」でいいか? 現代は、「孤独の時代」とも言われます。団地の暮らしは、その最たるものです。お隣が何をしている人が住んでいるのか分かりません。他人に干渉しないというのは、自由でいいのですが、これに慣れてしまうと何があっても「我関せず」という冷たい人間関係を当たり前と思うようになります。その影響を最も強く受けているのが、子どもたちや少年たちです。 「犯罪を犯した少年の母親は、周囲から子育ての失敗を指摘される。『そうです。その通りです。確かに自業自得の出来事かもしれません。でも、私一人ではどうしようもないのです。誰か一緒に考えてくれませんか。動いてくれませんか。悩んでやってもらえませんか。責任を共に担ってもらえませんか』。母親がそう叫んだ時、私たちは裏切りを悔いて駆け戻ったユダの前の祭司長たちのように『我々の知ったことではない。お前の問題だ』(マタイ二七・四)と済ませてしまうのか。」 少年たちの犯罪や児童虐待の事件を聞いても、まあひどい連中もいるものだ、と他人事で済ませるのではなく、その人たちの疎外感や孤独感を想像しましょう。そして、少なくとも彼らのために何も出来なかったことに良心の呵責を感じる、そして、執り成しの祈りを捧げたいものです。 「主は贖う者として、シオンに来られる。 ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると 主は言われる。」(イザヤ書五九章二〇節) クリスマスは、「罪を悔いる者」に訪れます。「慣れの恐ろしさ」を自覚し、疎外されている人たちの気持ちを汲み取ることに敏感になりたいものです。(二〇〇〇年一二月一〇日、第二礼拝説教要旨)
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