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「神の相続人」

牧師 石川和夫

 「あなたがたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、

わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。

子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。」

(ガラテヤの信徒への手紙四章六、七節)

 今日の主日の主題は、「神の子らの自由」です。そして、中心のテキストは、ガラテヤの信徒への手紙三章二六節から四章七節までです。

 このガラテヤの信徒への手紙は、新約聖書に数ある手紙の中でも、もっとも手紙らしい手紙の一つです。つまり、手紙というのは、誰かに宛てて何かの用事があって、その用件に即したメッセージを送るのが常です。

 この手紙の前にあるローマの信徒への手紙は、パウロがまだ行ったことの無いローマの教会の信徒に向かって、自己紹介を兼ねた信仰の真髄を系統的に語ったものです。コリントの信徒への手紙は、ガラテヤの信徒への手紙と似て、コリントの教会の事情に則して書いています。

 ガラテヤというのは、今のトルコの首都アンカラを中心としてヨーロッパからガラテヤ人が移住して来て、ガラテヤと呼ばれるようになったと言われます。ローマ帝国が支配するようになって、その南の地方も一緒にガラテヤ州と呼ばれるようになりました。

 パウロが第一回の伝道旅行で伝道した地域が、いわゆる「南ガラテヤ」と呼ばれていました。このガラテヤの信徒への手紙は、「南ガラテヤ」の教会に宛てたもの、という説と「北ガラテヤ」の教会に宛てたもの、という二つの説があります。「北ガラテヤ」でパウロが伝道した、というはっきりした記録はないのですが、第三回伝道旅行で「また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」と使徒言行録(一八章二三節)に書いてありますから、十分、可能性はあるわけです。今日、「北ガラテヤ」説を取る学者が多いようです。


  この手紙が書かれた理由

 なぜ、パウロが手紙を書いたのか、というと、パウロが説いた福音を後から来た巡回教師が否定していることが分かったからです。ポイントは、こういうことです。

 キリスト教はユダヤ教から生まれたのですが、ユダヤ教では、神との契約を守ることが一番大切なことでした。キリスト教でも「新約聖書」、「旧約聖書」というように「契約」が大事だ、とされていますが、ユダヤ教では、契約を守る「人間」に強調点は置かれ、キリスト教では、契約をしてくださった「神」に強調点を置いている、と言ったらいいでしょうか。

 一番初め教会は、言うまでもなく、エルサレム教会ですが、その中心的な指導者だったペトロやヤコブは、長い習慣を簡単に切り替えることが出来ないで、神との契約を守るために最低限、割礼を受けなければいけない、ということにこだわっていたようです。ところが、自ら熱心なファリサイ人として、律法を人の倍以上守る努力を重ねて来た上で、人間の側のどんな立派な条件作りも無限の神の愛の前には一切無駄なことと悟ったパウロは、今日のテキストにもあるように、革命的な発言をします。

 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

そこでは、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。

あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(ガラテヤの信徒への手紙三章二六節―二九節)

 身分的な差別が厳然と存在していた当時、これは革命的な発言でした。当然、身分の高い(と自認していた)人たちから反発されました。奴隷は人間扱いされていなかった時代に「奴隷」も「自由人」もない、と言ったのです。

 しかし、長い生活習慣を切り替えることは、いつの時代でも大変なことです。ペトロたちは、それほどすっぱりと切り替えられなかったのでしょう。旧約の律法を守ることも大事だが、救いはイエス・キリストから無条件で与えられる、と信じていたようです。だから、神の民となるしるしの割礼は必要なことと受けとめていました。まず、割礼を受けて、正式に神の民となった上でなければ、キリストの救いにあずかることは出来ないと教えたのです。

これでは、無条件の救いではなくなります。当時の教会は、今と違って定住している司祭とか牧師はいませんでした。色々な教師が巡回して聖書を説いていたのです。その教師たちが、律法も大事だ、と説いていたのです。ガラテヤの信徒たちは、当然、動揺し、迷います。そこで急遽、パウロが手紙をしたためたのです。それがガラテヤの信徒への手紙です。

  戦闘的な手紙

ですから、この手紙はエルサレム教会の指導者たちに対する告発であり、挑戦でもありました。その筆頭の指導者ペトロやパウロを教会の仲間として受け入れるために奔走してくれた恩人でもあったバルナバをも公然と非難しています。

「そして、ほかのユダヤ人も、ケファ(ペトロのこと)と一緒にこのような心にもないことを行い、

バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まされてしまいました。

しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっといてまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、

異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。』」

(二章一三、一四節)

ガラテヤの信徒への手紙が「戦闘的な手紙」と言われる所以でもあります。パウロは、ここでエルサレム教会との絶縁を決心します。恩人のバルナバとも袂を分かつのです。それは、ユダヤ教との絶縁でもありました。

「ガラテヤの信徒たちよ、しっかりしろ!あなたがたこそほんとうの神の選びの民なんだぞ。迷っちゃいけない。」こういう思いが伝わって来る言葉がこれです。

「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、

父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。」

(三章二九節、四章一、二節)

当時は、未成年の間は、完全に相続することが許されていなかったようです。パウロは、律法の下で生きることを未成年の相続にたとえています。つまり、「律法」の監督の下に生きているのは、信仰的には、未成年という訳です。

「同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。

しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。

それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の個となさるためでした。」

(四章三、四,五節)

 神に買い取られる

昨日の聖書研究会で、「贖うという言葉が聖書によく出て来るのですが、どういう意味ですか?」と質問されました。「わたしを贖う方は生きておられる」とか、「わたしの贖い主」とか、「わたしは、あなたを贖った」という具合です。確かに、わたしたちの普段の生活では使わない言葉です。

これは、当時の奴隷制社会で、よく使われた言葉だからです。「贖う」というのは、奴隷を値を払って買い戻す、ということです。とても簡単に表現すれば、「わたしは、あなたを買い取った」ということです。買い取っていただく、ということは、そこで、これまで束縛されていた義務から解放される、ということです。これまでの束縛から一切自由になった、ということです。奴隷達は、誰かが「贖って」くれることを切望していたはずです。自由になりたかったからです。

神が贖ってくださった、ということは、御独り子イエス・キリスとの命という代価を払ってわたしたちを諸霊の束縛や罪から解放してくださった、ということです。わたしたちが、何かふさわしい条件を満たすことにおいてではないのです。神が一方的に「買い取って」くださった。これが「福音」ということです。

自分自身に束縛され、家族に束縛され、過去や名誉や地位やお金に束縛されていた、救いの条件にも束縛されていた、こんなわたしじゃ、とてもダメだ、そんな束縛は一切要らない、私が買い取ったのだから、と天地創造の神が宣言してくださった。それが、イエス・キリストの出来事の意味です。

パウロは、無条件の救いに条件を付けているとしか見えないようなことをして、イエス・キリストの十字架の死を無にしてしまう結果を来たすペトロやバルナバに対して怒ったのです。


「アッバ、父よ」

「買い取って」いただいた者は、ただ「ありがとうございます」、これだけでいいのです。「買い取られた」のだから、一人前の相続人にしていただいたのです。

「あなたがたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、

わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」

(四章六節)

この「アッバ」というのは、イエスの使われた言葉で、アラム語のようですが、幼児がお父さんを呼ぶ呼び方、今で言えば、「パパ」という呼び方です。信頼と愛情のこもった関係において使われる言葉です。甘えることが出来る、親密な関係です。

これをイエス様がお使いになった。特に十字架にかけらえる前夜のゲッセマネの祈りにおいて使われた。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。

この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

(マルコによる福音書一四章三六節)

神を「アッバ」と呼べるのは、本音を語ることが出来る親密な関係にあるからです。これから、イエス様と同じように、神様と本音で語ることの出来る関係に置いてくださった、ということです。それが出来るように、わたしたちの心に聖霊が働きかけてくださっている、というのです。

最近、神を「父」と呼ぶのは、差別的だ、「父であり、母である神」と呼ぶべきだ、という意見があります。フェミニスト神学に立つ人たちの意見です。確かに、聖書の書かれた時代は、女性蔑視の時代でした。人数を数えるのも、女性は無視されていました。だから、この方たちの意見は、十分心して聴かなければなりません。

しかし、イエスが「アッバ、父よ」と祈られたのは、母を無視した、ということではなくて、神様との深い親密な特別な関係をわたしたちの普段の父親との関係で表現されたのではないでしょうか。

現在は、昔よりはるかにそうだ、と思いますが、普段、父親の存在は、影が薄い。わたしの場合もそうでした、わたしが一五歳の時に亡くなったのですが、それ以前でも出張が多くて、あんまり家にはいませんでしたし、あんまり一緒に遊んだ、という記憶もありません。母親の存在の方が強かった。

また、最近は父を父とは思えないひどい父親もいますから、神様を「父」と呼ぶことに抵抗のある方もおられるかも知れません。しかし、イエスは、神様を「アッバ、父」と呼びなさいと教えておられる。


それでも私は「父」と呼ぶ

西南支区に梅丘教会があります。最近、その教会の牧師に赴任された塩谷直也という牧師がいます。この先生が最近、新教出版社から、「迷っているけど着くはずだ」というエッセイ集を出されました。その一番最初に「そこで私は『父』と呼ぶ」というエッセイがあります。その一部を紹介しましょう。

「私の実父は、晩年、薬の副作用で痴呆の症状を示し出した。時々母に向かって『あなたは誰ですか?』と問い出した。風呂もろくに入れず、私は一緒に入って父の髪の毛を洗った。父は子供のように笑っていた。私の持っている厳しい『父』のイメージは、少しずつ崩れていった。そんな中、私は東京の神学校に合格する。すると宮崎の父から思いがけず電話があった。私は電話口で父に体の具合を繰り返し聞いたが、彼は全然聞こうとしない。ただ彼は、小さい消え入りそうな声で、私に繰り返し呟いた。

帰ってこいよ。辛かったら、帰ってこいよ……。」

急に泣けてきた。私はこの時ばかりは体を震わせて泣いた。私は『はい』と震えながら答えて、受話器を置いた。六畳一間の下宿で思った。意外だ。あの父が、あんなことを言うなんて。あの台詞はいつも母の言葉だったはず。お父さん、その言葉を言ってはならない。そんな意外なことを言わないで下さい。父はその言葉を最後に、数週間後、あっけなく死んだ。

私にとって、『父』という言葉は、この出来事と無縁ではありえない。神よ。あなたはどうして威張るんですか。いつも命令ばかりするのですか。しかし、神よ、本当は私のこと、すごく好きなんでしょう?実は放蕩息子をバタバタと走って迎えに来るような、意外な方なんですよね。ね、あなたの意外さ、不思議さを、同じように意外だった私の父にたとえて呼んでもいいですか?そしてあなたのもとに帰ってもいいですか。実の父の『帰ってこいよ』に、私は答えられなかった。その無念さを込めて、呼ばせて下さい。父よ!僕はここにいます。実の父のもとには帰れなかったけど、あなたのもとには帰れるはずです。迎えに来て下さい。

私はあえて今、『父』を使用する、限り無い誤りを知りながら、全てのむなしさとためらい、どうにも『母』では表せない意外性を、実の父への言葉にできない悔いを、この一言に込めて呼びます。天の父よ!神学校の合格よりも、私の帰りだけを、ただそれだけを待ち侘びていた私の父のような、天にいる私のもう一人の父よ!

『アッバ、父よ。』イエスはその言葉をゲッセマネで叫ばれた。きっと私たちも、そんな一言のたとえのためにこだわり、言いたいけれど言えない、言えないけれど言いたい、苦しむゲッセマネがあるのだ。神に呼びかけるたとえのために『汗が血の滴るように』(ルカ二二章四四節)流れる辛い思いを持って、私だけのたとえが生まれる時が誰にでもあるはずだ。」

そうです!私たちと常に共におられる救い主イエス・キリストは、「彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」(ヘブライ人への手紙二章一一節)方ですから、主イエスと共に神に向かって「アッバ、父よ」と呼びましょう。私たちはイエスにおいて神の子とされ、神の相続人とされているのです。(ローマの信徒への手紙八章一四節〜一七節)

「わたしたちすべてのために、その御子を惜しまず死に渡された方は、

御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」

(ローマの信徒への手紙八章三二節)

       (七月九日礼拝説教より)