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「一路白頭に至る」

牧師 石川和夫

 イエスは言われた。

「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。

あなたは、わたしに従いなさい。」

  (ヨハネによる福音書二一・二二)

 今日のテキスト(ヨハネ二一・一五〜二二)は、教会の指導者としての役割をペトロに復活のイエスが委託する、という個所です。直接的には、ペトロに対してなされていますが、これは、復活のイエスを信じる私たち一人一人に対してなされたものと受けとめるべきことでもあります。

 ヨハネによる福音書二一章は、明らかに、この福音書の編集者による追加の部分なのですが、それは編集者の属していた教会の置かれていた状況を反映したものです。一つは、紀元八〇年のヤムニア会議によって起こされたユダヤ教のクリスチャンに対する異教徒狩りのために動揺している信徒への激励、もう一つは、当時の教会の主導権争いが想像されます。

 新共同訳新約聖書注解に、このことについて、次のように記されています。

 「二一章の記者はもう一度ペトロとのかかわりで愛弟子を確認しているが、特に《イエスの胸もとに寄りかかったまま》という言葉(一三・二五)がここで繰り返されている点に注目させられる。ギリシア語原文の、『イエスの胸もとに寄りかかったまま』という言い方は一・一八で独り子なる神イエスが《父のふところにいる》と言われた言葉遣いと極めて似ているからである。『神のふところにいる独り子』と並行した連想が働く。神は独り子なる神以外によっては知られない。同じようにイエスはイエスのふところにいる愛弟子以外によっては知られないという関係を暗示しているのではないか。

二一節 ペトロにとって愛弟子の存在が優位を示しているだけに気になるという設定の下で筆が進められる。言い換えれば、ここでペトロや十二使徒に権威をおく教会と愛弟子に権威をおく教会との関係が問われていると言える。イエスの答えは、一方が殉教したとしても、他方がそういう死に方で死なないとしても、どちらが優位であるかを論ずることは許されない、と理解すべきであろう。」

  三度のラブコール

 このような背景の中で、ペトロに対するイエスの赦しが一五節から述べられます。まずイエスが

「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」(一五節)

と言われます。他の福音書では、「バルヨナ・シモン」つまりヨナの子シモンと呼ばれています。しかし、ここでは、わざわざ「ヨハネの子、シモン」と呼ばれていることにも「ヨハネ」という名前を強調したい、という意図が感じられます。

 それはさておいて、ペトロは三度も「愛しているか」と訊ねられています。

 「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。」(一七節)

 このペトロの悲しみは、イエスが疑っておられることに対する悲しみではありません。口語訳で「心を痛めて」と訳されているように、三度繰り返して念を押されることによって、ペトロ自身三度イエスを知らないと言ったことを思い起こして悲しくなったのでしょう。そして、

「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」

と告白します。

 イエスが初めの二回「愛するか」とペトロに訊ねられたときのギリシア語は「アガパーン」という神の愛(アガペー)を示す言葉が使われています。これに対して、ペトロの答えは「フィレイン」という人間相互の友情を表わすギリシア語が使われています。そして三度目のイエスの「愛するか」は、「フィレイン」が使われ、それに対してペトロは、同じく「フィレイン」で答えています。

 人間的な限界の中でしか愛することのできないペトロに、「そうか、そうか、それでいいんだよ」というイエスの無限の愛がこめられていると言っていいと思います。イエスは、決して私たちに完璧を期待しておられません。限界を心得ながら、精一杯に応答することを喜んでくださっているのです。私たちの罪はご自身がそっくり背負いながら。ペトロの「主よ、あなたは何もかもご存じです」との告白に、その思いがいっぱい込められています。

  わたしに従いなさい

 その後で、イエスは

「わたしの羊を飼いなさい。

はっきり言っておく。

あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。

しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、

行きたくないところへ連れて行かれる。」(一八節)

と殉教の予告をされます。

 ペトロは、六二年頃、ネロ皇帝の迫害によって、ローマで殉教したという伝説が残っています。この記者は、明らかにこのことを知っていて、このことを書いています。

 「このように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』と言われた。」(一九節)

 ところが、振り向くと愛弟子が目に入ったので、

「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(二一節)

とイエスに聞きます。それに対するイエスの答えが冒頭の言葉です。

 「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、

あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」(二二節)

 「彼はああいう生き方を選び取り、彼女はこのような人生を選んだ。だからといって、それがあなたに何の関係があるというのか。わたしは、あなたを選び、わたしは、あなたを立て、わたしは、あなたにこのつとめを任せる。あなたが、わたしを愛しているのなら、わたしが委ねるこのわざに、あなたは、ただひたすらに励みなさい」とイエスが言われているのです。

 五二年間にわたり監獄事業の改善に努めたアメリカ人、ブロックウェーは、こう語ったといわれます。

 「私はただ一つのことをやっているだけなんです。だけど、それを成し遂げるには、たゆまぬ努力と長い時間が必要です。“This one thing I do” われらこの一事をつとむ。これが私の座右銘です。」家庭学校の創立者・留岡幸助は、これを「一路白頭に至る」と意訳しました。白髪に至るまで、一つのことに励む、ということでしょう。何をやってもいいから、あの人は、死ぬまでイエスに従い続けた、と言われる生き方をしたいものです。

  一路白頭に至る

 「一路白頭に至る」生き方をしておられる方を紹介して、結びとします。結婚、中高年カウンセリングに携わってこられた奈良林祥(やすし)さんです。「夕映えの季節を生きる」という本の中で、こう書いておられます。

 「それにしても、神様のなさる事は凄いとしみじみ感じさせられたのは、私の舌が突如としておかしくなりはじめたのが、なんと「中高年女性セミナー」の講義に入る寸前だった、という事でした。間違いなく八十歳なのに “私は夕映えならぬ午後二時の男 ”などと茶化しながら中高年に関した講義をする私を神様は許してくださらなかったのです。『その前に、八十歳のキリスト者であるお前自身をまず考えよ』と諭してくださったのだなと、感謝申し上げながら病床で主の祈りを唱えながら反省しておりました。

 今、こうしてほぼ全快に近い身で人生の夕映えを生きている私は、その夕映えが一際眩しく幸せなものに見えているに違いない事を改めて思い知らされております。というのは、私の産みの母親は強度の喘息持ちで、折りしもスペイン風邪なる悪性流行病の蔓延もあって、周囲から、妊娠中の胎児(つまり私)を堕胎しないとお前の命が危ないと言われていたのにそれを拒み続け、早産で私を生むと、周囲の予想通り、産後すぐに世を去っています。つまり、私は、母が己の身を捨ててまで世に送り出してくれた命だったわけです。

 未熟児だった私は小さく弱虫な子で、何かというとヒキツケを起こし、周囲を慌てさせ、親戚一同から  “五つ目のヤッチャンは長く持たないだろう ”と噂されていたそうです。育ての母がこれまた  “命懸けみたいにして育ててくれたお蔭だよ。その恩を忘れたらこのオバチャンが勘弁しねーからな ”と、私がイタズラ坊主すると、近所の怖いオバチャンから、よく、こんな叱られ方をしました。戦前の下町ではよくあった光景です。

 東京府下南 葛飾郡亀戸町 下五つ目が我が家の番地でしたから、五つ目のヤッチャン。またの名をヒキツケのヤッチャンと呼ばれた弱虫坊やも、糸魚川藩の御典医の娘であった事を終生誇りとして生きた気丈な育ての母のお蔭で結構ヤンチャ坊主に育ち、長じて、人口妊娠中絶へのこだわりから、婦人科医を辞め受胎調節を指導する人間に転じ、日本を一県残らず講演して歩くようなヤンチャをやるキリスト教徒になりました。

 思えば、人生の本当のはじめから神様に心配掛け通しの、だから夕映えがとても眩しい八十歳なのです。」